エスカレーター
娘の京子は美大に行きたいと言っていた。美大でも教師になれる道は有るが、京子は絵を描いて生活したいと言った。銀行員になりたい、公務員になりたいと言うのであれば嬉しいが、画家で生活したいなんて夢の話に思えるのだった。
悦子は大学はどこでも良かった。将来何の仕事がしたいなんて気持ちはなかった。大学に入ったら青春を謳歌したいと思っていた。2つの大学に合格したが、経済学部と教育学部であった。先生の方がかっこいいかなと思い、教育学部を選んだ。この学部を選んだのは自分の意志であったが、2つのなかから選んだだけのことである。教師になりたい訳ではなかった。
大学はそれなりに楽しみ学んだ。
常勤講師をしている時に、結婚相手を捜した。教師の試験は5度落ちた。それならばと教師を結婚相手に選ぶことにしたのである。
それなりの生活は出来るからである。国語の教師で、悦子より2歳年上の宍戸敬を選んだ。
悦子のこれまでの人生は、生まれた時からエスカレーターに乗っているように目的の場所まで運ばれて行くように感じた。
医師になりといと思った事があった。しかし数学が苦手であった。
教師の試験を受けたのはなりたい訳ではなかったかもしれない。教育学部だからであった。
敬が特別好だと言う訳ではなかったかもしれない。大学生の時に付き合った彼の方が夢中になったと思う。
生きるためにそれなりに自分を捨てていたのかもしれない。
そんな性格のためか、悦子は苦労とか悩みを深刻に感じた事はなかった。何時でも幸せを感じていた。悦子は生きる事は幸せを感じることだと教えられて育ったのである。
無理をしなくてもいいから、自分の力で出来ることをしなさいと教えられた。
悦子は京子の母親として、苦労する道は歩いて欲しくはなかった。
京子は母親の反対を押し切って、美大に進学した。
「好きな絵を描いていれば幸せよ」
悦子は京子の残した言葉がいつも頭のなかに残っていた。
悦子は母親の教えのように素直に生きて来た。しかし、京子のように自分の意志で自分の幸せを求める事も人生なのだと感じた。