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そうま・けんじ
そうま・けんじ
novelistID. 41957
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被災地を歩く。前編

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【宮城県 塩竈市 塩釜港周辺にて】
2012年8月11日。その日から約1年3ヶ月。石巻、塩釜港を歩いてきました。

「何故、"自分ごと化"なんて言葉をわざわざ使うのか。年金問題、政治の問題、戦争のこと、知ってしまった瞬間から"全部自分ごとなんだよ"」。ぼくにとって、数人の師と呼ぶことのできる「頭のあがらない人」からの言葉である。

2011年(平成23年)3月11日(金)ぼくは横浜のオフィスにいた。震源地が東北地方太平洋沖だとは思えないほどの、まさに横浜が震源地だと疑うほどの強烈なゆれだった。その後のニュースで明かされていく事実に頭が整理しきれず、ただただ戸惑うことばかりで、発表される原発に関する政府の発表に、いったい何が正しいのか?何が本当なのか?疑心暗鬼に陥り、押し寄せる津波の映像に恐怖をただ募らせ、現実であることを疑ったことを今でも鮮明に覚えている。

2012年8月、あの目を覆いたくなりたくなるような震災から約一年半、"全部自分ごとなんだよ"。ぼくはこの言葉を胸に被災地へと向かった。農道市場という食と農をあつかうメディアを運営しているからだけではない。インターネットを使い、ウェブサイトを制作をすることが許された者が、こうして自分で知り得た事象を、インターネット上に書き残していくことは無駄ではない。そう信じているからだ。

目的は、きちんと自分の目で被災地の状況をみて現地の食べ物を食べて記事をかくこと、そして宮城県の観光をしてお金を消費してくること。

マクロなこと、いちメディアとしてはあまりにも小さなことであり、とても復興支援と呼べるような、ましてや「絆プロジェクト」「日本の力を信じよう」などと有名企業や芸能人ができることとは、ほど遠く、復興ボランティアを続けている方のそれにはまったく及ばない。じつに拙いことだ。

だが、被災地に関する情報がどんどん少なくなる中で、決してこのこと忘れないように、そしてこの震災にどう向き合い、そして、どうしていくべきなのかを考えてみたいと思ったのだ。

なにができるわけでもない。ただできるだけ現地に赴いて、目で見て感じたことを書こう。いまの自分にできることをやっておこう。いまこの行動をしておかなければ、いつかきっとこの先の人生で、後悔することになるだろう。そんなことをただつぶやき続けていた。

宮城県は仙台市を訪れた。仙台駅をおり、すぐにそのままぼくは塩釜港へ。本来は"マグロ漁獲高日本一"を誇る漁業の町、寿司の名店が集まる寿司の町として有名な場所だ。事前の情報では塩釜は"島で守られていた"ため、比較的被害が少ないとはいうが、実際はどうなのだろうか。



まず、駅をおりると、その目の前の街路樹すべてが塩害で枯れ果てていることに驚く。そのまるで冬景色のようなさまに、津波がもうそこまで来ていたたことに、たじろいだのだ。塩害の報道は、ぼくのすむ地域ではそれほど多くはなく、仙石線の車窓から映る宮城野区の美しい田園風景からは想像ができなかったからだ。

訪れることで気がつかされたことだが、現地にいくことで体感することの大切さを感ることとなった。

しばらく歩くと、これで被害が少ないのかと思うほど津波の傷跡が残る町並みに出会う。壊れた歩道やグニャグニャに曲がったままのガードレール。薄暗く恐ろしさすら感じるを運河を進み、塩釜港旅客ターミナル「マリンゲート塩釜」までぼくは歩いた。報道では車が流されていくさまや、乗り上げた船の様子を何度もみた場所だ。

終始無言で歩くと海産物と土産物の店が入る「しおがま・みなと復興市場」が目についた。プレハブで仮設住宅のようだが、いわき市の久之浜と並んで中小機構による仮設商店街第一弾として着工。以来、ここで営業を開始しているという。

本当にタフだと思う。

訪れるとわかるのだが、あちこちこちらに掲げてある"頑張ろう!塩釜"の文字。以前と変わらず、営業している名物の寿司店。想像を超えた自然のチカラを目の当たりにして、めげていないのだ。

ぼくたちは他人の哀しみの100%を理解することなどできない。ましてや被災された方たちの苦しみなど、想像することすら叶わない。ただ、こうして今まさに復興への礎を築こうとしている人々をみていると、そんな自分への無力さよりも、苦境へ立ち向かう勇気や人と人のつながりの尊さを感じるのだ。「絆」という言葉を、当事者ない人間がやすやすと使い、薄っぺらいものにしてはならない。この時、ぼくは強く思った。(後編へ続く)