彼の最期
彼女は叫んだ。
彼は死のうとしていた。
頭に拳銃を突きつけ、今にも引き金を引こうとしていた。
彼は無言で無表情だ。
暗い寝室でベッドに腰かけている彼に彼女は尋ねる。
「なぜ死のうとしているの」
彼は答えた。
「わからない」
彼には死ぬ理由はないのだろうか。
なぜだろうか。
彼女は混乱した。
彼は笑った。
これまでに見たことのないような素晴らしい笑顔であった。
彼はあまり笑わない人間であった。
気難しい人間であったのだ。
最後に笑っているのを見たのはいつだったかしら。
彼女はそんなことを思った。
そうだわ。彼の歌を私に聞かせてくれたときだわ。
あの時の彼は笑顔だったの。幸せだったわ。
ずいぶん頭が冷静になってきたようだ。
冷静を通り越して呑気な思い出まで浮かんでくる。
彼は彼女を待っていたのだろうか。
まだ引き金は引いていない。生きている。
止めてほしいのだろうか。
彼女は彼を愛していた。
彼の想いは彼女には分からなかったが、彼女は彼を愛していたのだ。
愛する者が死のうとしている。
それなら止めるしかないであろう。
どうしたら死ぬのをやめてくれるだろうか。
彼女は彼に近づき、彼を抱きしめた。
彼は依然、そのままだ。
彼の意志は固いように見えた。
「君も一緒に死ぬつもりか」
彼は小さくこう尋ねた。
「いいえ。私は死なないわ」
彼女は彼を抱きしめたままそう答えた。
「そうか。分かった。いや分かっていた。さあ、離れろ」
彼はいつもと違う優しい声でそう言った。
彼女は彼から離れた。
瞬間、彼女の服は血に塗れた。
彼が引き金を引いた。
彼は死んだ。
彼女は生きている。
彼はこの世界が嫌になったのだろうか。
だから死んだのだろうか。
残された私はどうすればいいのだろうか。
もし死後の世界というものがあるとすれば、
彼はこの先そこで楽しく暮らせるのだろうか。
そうであるならいい。
私はこの先ずっと彼を失ったままだ。
その悲しみを背負ったまま生きていくのね。
少し、厭だわ。
彼があの世で浮気をしていたらどうしようかしら。
少し、心配だわ。