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夏花火

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 透の部屋を後にして、私たちは二階のベランダへ向かった。透が先導して梯子を上り、私たちは屋根の上に登った。まだ太陽の温かみが残っているトタンに、並んで腰掛ける。祭りが行われる川原の方を向いて、二人して沈黙する。
 ここは、町の中心部よりも少しばかり高台にある。その上、この小さな町には高いビルなんてほとんどない。町の東西に一、二軒ずつ民宿とホテルが建っているだけだ。つまり、ここから祭り会場までの景観を、遮るものは何もない。
 西の空が微かに赤い。けれど、それ以外は確実に、夜に向かって闇を纏い始めていた。祭り会場へ続く大通りは、その中で一際灯りを放ち、浮き上がるように目立っていた。ここからではよく見えないが、川原はきっと人で埋め尽くされているのだろう。
 私はそっと、右隣に座った透を窺った。その横顔の、昔よりも少しだけほっそりした曲線を目でなぞった。私よりも長くてくるっと反った、睫毛の震えを見つめた。金目透は、昔と同じように穏やかに、そこに存在していた。
「……時間だ」
 透は、前を向いたままでそう言った。私に話しかけたというわけでもないような、ささやかな吐息程度の言葉。私は黙って肯いて、透と同じように前方に目を向けた。川原の対岸から、花火が上がった。煙がまっすぐに上昇して行って、それから四方に砕け散った――華やかな光と共に。遠く離れていても、人々の歓声とどよめきが、静かな空気の震えと共に伝わってくるのが、分かるような気がした。
 花火は金色と赤、それと緑がかった色で広がり、不意に起こった風に巻き込まれるようにして崩れ、ふっと消えていった。僅かな炎の残滓が、地上へと落ちていくのが見える。しかし、今消えていった花火に名残を惜しむ時間すら与えず、次なる花火が打ち上げられた。どどどん、と、一斉に何本かを同時に打ち上げたようだ。勿論音は遅れて聞こえてくる。目に鮮やかな光の輪が浮かび、その数秒後にぱん、という威勢のいい音が耳に響く。隣で、透が「たーまやー」と呟く。
「ねえ、金目。あんた、どこかに行っちゃうの」
 私は、花火に照らされた透の顔を見ながら、聞いた。透は一瞬、分かるか分からないかといった程度に目を細め、小さな唇を歪めた。けれどそれは本当に一瞬のことで、もう一つ花火が打ちあがった時には、既に微笑を浮かべて、私を見ていた。
「どうして分かった?」
「何となく。……幼馴染の勘、ってやつ」
 最後の言葉は曖昧に付け足して、私は言葉を濁した。透はふーん、と肯いて、また、打ち上がった花火に視線を向けた。
「父さんと母さんが離婚した。それは星井も知ってるよな」
「まあ……」
 私は又も曖昧に肯くが、透はそういう私の態度には気を払う素振りを見せない。そのまま、言葉を続けた。
「それで、父さんは家を出て行った。残されたのは俺と母さんだけだ。だから、母さんの実家に帰ることになった」
「実家?」
「うん。東京の方」
 淡々と、あまり感情を交えない口ぶりで、透は話した。その合間に、花火の打ち上げの光と遅れて弾けていく音とが、私と透の間隙を縫った。透は相変わらず花火を見上げ、私は相変わらず透を見つめていたが、やがて透がまた口を開いた。
「小さい頃もさ、こうやって花火を見たよな」
「そうだったね」
 そうだった。
 幼稚園のとき、家族ぐるみの付き合いをしていた星井家と金目家は、時折花火大会の日に、ここでこうして花火を見ながら団欒したのだった。私たちの年齢が上がるにつれ疎遠になった両家の関係は、それでも私と透個人の間で続いていた。中学を卒業して高校に入るまでは、毎年、恒例の行事のように、二人してここに上り、花火を見た。
 それももう、終わりだ。
「俺が高校に入った頃、父さんと母さんの仲はもうダメになってた。どちらの味方になれば良いのか分からなくて、俺は登校できなくなるくらい悩んだ。……今年、父さんが家を出て行くことにしてくれて、正直俺はほっとしたよ。もうあの空気は耐えられなかったから」
「……そう」
 透が、せっかく入学した名門私立高校に、通っていないという話を聞いたときは、耳を疑ったものだ。私とは頭の出来が違った彼が、思慮深いはずの彼が、何故そんな馬鹿げたことを、と思ったものだ。花火の誘いがなくなったのも、その年からだった。
「もう誘ってもらえないのかと思ってたよ」
 私は冗談半分、本気半分に、そう言った。笑顔を向けて、言った……はずだったが、何故か言った後で、涙が溢れてくるのが分かった。透は花火から私に目を向けて、それから驚いたように両手を上げた。
「星井? ちょっとどうしたの」
「いや、目にごみが入った」
 泣きながら笑い、私は目をこすった。強引にでも涙を止めようとした。余りにも格好悪い。これでは、まるで馬鹿みたいだ。
「星井……」
「うん、もう大丈夫。ごみ、取れたみたい」
「そう?」
 気遣わしげに私の顔を覗き込む透を、両手で止める。
「大丈夫だから」
「…………」
 透は尚も心配そうな表情で眉根を寄せていた。心配性なのだ。私よりも、更に心配性なのだ。
「ほら、花火が綺麗だよ」
 透の視線を逸らすために、私は今上がったばかりの花火を指差した。透は素直に、そちらに目を向けた。花火は確かに、とても綺麗だった。一年に一度しか咲かない、一瞬の光だから、尚のこと美しいのかもしれなかった。
「そうだね。綺麗だ」
 透はようやく川原の方へ向き直り、花火のきらめきに目を輝かせた。この輝きも、見納めか。
 幼稚園の頃からずっと一緒だったために、会えなくなる日がくるとは思ってもみなかった。その、勝手な思い込みが砕かれたのは二年前。花火大会の日を、初めてここではない場所で過ごすことになった、あの日。
 高校が違っても、会えなくなるなんてことはありえないと思っていた。透と私は幼馴染で、これからもずっとそうなのだと。学校が違っても家は近いのだから、いつでも会えるのだと。
 ――そう思っていたのに。
「金目は東京に行って、新しくやり直すんだね」
「うん、そのつもり。高校にもちゃんと通って、とりあえず卒業はしたいな。それから先どうなるかは分からないけど、まあどうにかなるよ」
「そうだね。金目なら大丈夫だよ」
 私は肯きながら、体育座りの両足を、体の方にぐっと引き寄せた。安定感が足りない。
「星井なら、そう言ってくれると思ってた。東京行ったらなかなか会えなくなると思うけどさ、今の世の中メールでも何でもあるし。ずっと友達でいてくれるよな」
「うん。一生会えなくなるわけではないからね」
 そうだ、もう会えないというわけではない。透が言ったように、携帯電話やコンピュータがあれば、現代では簡単に連絡がつく。……そう思おうとした。
 しかし寂しさは、その影をひそめようとはしてくれない。
「もうこの花火大会ともお別れだなあ」
 透は隣で、静かに呟く。
 佳境に入った花火の一団がその横顔を照らすのを、私は、暗くなるまで見つめていた。
作品名:夏花火 作家名:tei