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プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第二章(後)】

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第十八話 天災
 
 新暦二〇二年 秋

「んーっ!」
 岩風呂につかっていた私は、両手を高く突き上げました。
 ローカル船でしか来られないような絶境で、まさか温泉に入れるとは思ってもみませんでした。三方を山に囲まれたマーシュ村は、見晴らしこそありませんが、赤や黄色に染まった木々の彩りを見ていると、心の奥深くが洗われていくような気がします。
 この村にやってきてからしばらく経ちますが、幸か不幸か私の出番はありません。高齢な方が人口の半分以上を占めるというのに、みなさんお元気で、小さな診療所一つで充分間に合っていました。
 平和な日々がつづいてくれるのはありがたいですが、カフェのバイトでためた旅費がオピアムまでもつかどうか怪しいところです。オピアムは隣国ウォールズの首都にして大陸第二の大都会。仕事がたくさんあり、先輩たちもそこでよくバイトをしたという記録が残っています。
 昨日までこの民宿には、オピアムからきた絵描きと老夫婦が泊まっていて、何かと気を遣っていましたが、今日は私一人です。
 誰もいないのをいいことに、私は湯から上がり、素っ裸のまま岩の上にのぼって、魔物を迎え撃とうする女竜騎士のポーズをとってみました。
 暇なので、本を読むくらいしかすることがないんです。
 ウォールズ国のメリッサという作家が書いた小説で、挿絵も豊富です。甲冑があればよかったのですが、裸のままでは恥知らずの妖精(脇役)にしかなれないと気づき、私は岩から降りることにしました。
 そのとき、足下の岩が突然揺れだし、私は体勢を崩して岩風呂に落ちてしまいました。
「ぶはっ!」
 湯から顔を上げると、揺れはさらに勢いを増し、岩風呂を囲っていたあずまやの柱が折れて天井が落ちてきました。
 幸い屋根は緩い四角錐をなしていて、上に隙間ができて頭を打たずに済みました。
 私は波立つ風呂の中で、揺れが収まるまでじっとがまんしていました。
「すごい地震だった」
 故郷のエルダーは死火山の群島といわれ、地震があってもカップのお茶が少し揺らぐ程度。こんなに大きいのは生まれて初めてです。
 屋根下の隙間に閉じこめられた私は、息を止め、お湯に潜りました。明かりが漏れてくるほうへ泳いで、脱出成功。
 安心したのもつかの間、脱衣所の扉が開きません。地震のせいでドア枠が歪んでいます。
「ど、どうしよう」
 このままでは、民宿の横庭を通って玄関から入り直さなければなりません。
 のぼせて奇行に走るほど温泉に浸かっていたとはいえ、秋の風は冷たく、早く服を着ないと風邪をひいてしまいます。
「バスタオルも脱衣所か……なんて、そんなこと言ってる場合じゃない!」
 あれだけの地震です。けが人が出ているはず。
 私は意を決し、裸のまま横庭へまわりました。
 狭い庭に面した部屋は窓ガラスが割れ、天井が落ちていました。昨日チェックアウトした老夫婦がもし延泊していたらと思うと、ぞっとします。
 冷たい敷石をひたひた歩き、通りに面した建物が崩れているのに目を奪われつつも、私は上と下を隠しながら玄関前に飛びだし、ドアノブを思いきり引きました。
「そ、そんな……」
 玄関も開きません。こちらは丈夫で枠は曲がっていないのに、今度は鍵がかかっています。
「怪我はないか?」
 背後で男の声がしました。
 私は思わずふり返ってしまいました。黒のフォーマルベストにネクタイ姿の、若い青年が立っています。
「ひっ!」
 私は叫ぶこともできず、裸のままうずくまりました。
「あ、す、すいません!」青年は背を向けました。「メガネが割れてしまって、よく見えないんです。近所のノーラかと思ったもので」
 ノーラさんは、この民宿の近くに住む十歳の少女です。
「私はエルム、村役場の助役です」
「その、脱衣所に入れなくて、ここは鍵が閉まっていて……」
 状況を話すと、エルムさんは言いました。
「マンザニータさんなら、役場に来ていて無事ですよ」
 女将さんがいないとなると、玄関は開きそうにありません。
「あ、あの、こんなときに申し訳ないのですが、私の黒衣を……」
 エルムさんは民宿の裏へまわり、脱衣所のドアを壊して服をもってきてくれました。
 彼は片手で目をおさえながら、丸くなった黒衣と下着を差し出しました。
「癒師さんだったんですね」
「よ、よくご存知で」
「一応、大学出てますので」
 私は横庭にまわって服を着ると、熱くなっていた頬を両手ではたき、再び通りに顔を出しました。
 エルムさんは他の壊れた家にまわり、声を張って住民の安否を確かめています。
 私もついていって手伝おうとすると、エルムさんは言いました。
「ここはいいですから、マーシュ小中学校へ行ってください。指定の避難場所です」
「でも……」
「村に医師は一人しかいません。お願いします」
 私はうなずくと、ところどころ地割れしている石畳の緩い坂道を下っていきました。

 大地震の後にもかかわらず、マーシュ小中学校は健在でした。国の僻地助成金を使って近年建て直されたレンガ造りの長い平屋は、村で一番頑丈な建物として有名です。
 校門を通り、玄関で待っていると、人々が重い足取りで一家族また一家族とやってきました。
 人の列を追い抜いてくる白衣の男。
 初老の医師が黒い鞄をかかえて駆けこんできました。
「ハァハァ、君は見ない顔だね」
「旅の癒師です。プラムといいます」
「癒師だって?」
 医師は怪訝そうな顔を向けました。
「今は立場の違いを話してる場合じゃありませんよ」
 医師は息を整えて言いました。
「そうだったな。私はオーレン。患者は手前の、小学部の教室に集めることになっている。避難者は奥の中学部だ。救助活動はウォールズの自警隊(じけいたい)がくるまで村の若い者がやる。ここまではいいかね?」
「わかりました」
 ウォールズの軍隊は、二百年前の戦で敗れたときに一度解体されました。その後、内紛の抑制や災害救助などを目的とした小規模の自衛集団『自警隊』が作られました。
 オーレン医師の話によると、ラーチランドの主要市町から遠いこの村は、有事のときはウォールズの手を借りることになっていて、災害情報が伝わり救助隊と医師団が船でやってくるまで、一週間かかるとのことでした。
「この一週間が勝負だ。寝る暇はないと思ってくれ」
 私はうなずくと、オーレン医師の後について校舎へ入りました。

 私は教室を一つ任され、主に内科の症状を診ることになりました。
 一方、物理的に急を要する外科は、癒術が不得意とする分野。隣の教室でオーレン医師が診ています。
 木製の学校机をならべて簡易ベッドをつくると、私は体の不調を訴える人を、一人また一人と寝かせては、両手をかざして透視していきました。

 寝ずの施術が三日つづいた日の夕方。
 私は気を失って倒れ、仮眠をとらされました。
 目覚めてから「オーレン医師は?」と聞くと、まだ手術をつづけているとのこと。
 癒術の最大の弱点は、薬や道具を使う医術に比べると何十倍も精神力を使うため、『連戦が利かない』ことだと、実感しました。
 このときから私は、癒術は万能とはほど遠い、もっといい方法があるはずと、思うようになりました。