はなのいろは
屋根の下から手を伸ばして、触れて、伝う滴。
「直義様」
―…直義様、
二度目の呼び声だけが、しんとした雨音に閉じ込められた鼓膜にようやく届いた。
ああ、すまない。
少しぼうっとしていたものだから。
「何か、私に用かな」
「―…今宵は冷えるでしょうから、部屋にお早めにお戻りになられた方が良いかと、失礼ながらご進言させて頂きたく」
ああ、そうか。そうだったね。
「すまない、ありがとう」
「―…いえ」
失礼、します
頭を下げて、まるで逃げるようにその場を去る後ろ姿に、そこで初めて視線を向けた。
重能、
「重能」
「――…はい?」
この長雨が終わったら、桜は咲くだろうね
すぐにあたたかくなって、瞬く間に京の桜は満開になるだろうね
そう言えば、京に来てから花見なんてしたことがないね
折角、綺麗なのに、可笑しいなあ
「――…直義様、今年は、きっと――…」
「重能」
きっとなんて曖昧な言葉は、為政者が使うべきではないよ
一度だけ合わさった目の、奥に広がるのは、閉じ込められた感情。
だから、今、笑うのが良いのだと思った。
だから、今、笑ったのだと思った。
「――…申し訳、ありませんでした」
「下がっていい。案ずるな、すぐに戻るから」
「――…はい、失礼します」
はなのいろは うつりにけりな いたづらに
わがみよにぞふる ながめ せしまに