漆黒と純白・2
お互いこめかみに銃を突き付けたまま、何のつもりか“アッシュローズ”が再び耀の唇を食らいつくように奪っていた。
くちゅりとお互いの唾液が混ざり会う感覚に思わず銃を落としそうになる。
先程くわえていた煙草はというと、右手の人差し指と中指の間に挟まっている。
長々と角度を変えて繰り返される口付けに耀は戸惑っていた。
口付けに答えるのは、ここで舌を噛むと一瞬で頭を撃ち抜かれるからだ。
ではもうこいつを自らが撃ち抜けば良かろう。
しかし耀の頭ではわかっていても身体が動かない。
ターゲットはこいつ。
こいつを殺すのがミッションなのだ。
なのに、こんなにキスに溺れて、快楽を求めて身体が疼いていてしまった。
こんな感覚は初めてで、どうしようもなかった。
“アッシュローズ”も耀を撃ち抜く様子はない。
キスに夢中のようだった。
「なぁ、俺の組に来ないか?」
唇を離すと二人のあいだで糸が引き、ぷつりと切れた。
それを右手でごしごしと拭いているとそんなことを言われた。
もちろん警戒心は怠らない。
それに組織の移動など、耀にとっては出来るわけない。
「ふざけるな。我の今回のターゲットはお前あるよ。」
「は、んなもん、お前が俺を誘ってきた瞬間から知ってたさ。」
そうして右手に持っていた煙草を再びくわえた。
耀はひっきりなしに“アッシュローズ”を睨み付けていたが、よせよ、と彼は言った。
「俺はお前を殺すつもりもこの引き金を握るつもりもない。ただし、お前が俺を殺すなら話は別だ。」
「マフィアに情けでもあるのか?それでも頭なのかお前は。」
わざと相手の戦闘意欲を高める様に挑発的な言葉を繋げるが、全く効果が無いみたいだ。
「情けはないが…“緋舞”、お前が気に入ったのでな。」
「気に入った…?」
そう言うとくわえていた煙草を再び右手に挟むとまた口付けをした。
今度は触れるだけの優しいキスだ。
「つまり、こういう事かな?」
「…男色趣味あるかっ」
「いや?ただ、お前だけは別のようだな。」
するとこめかみにあたっていた銃がするりと遠退けていくのがわかった。
しかし耀は銃を降ろさない。
ここで銃を降ろせば任務を放棄した事になる。
ターゲットを目の前にして、殺せなかったなど、マフィアの恥じだ。
任務失敗など耀のプライドが許さない。
しかし手元は震え、カタカタと音をだしている。
相手とずっと視線が絡み合っているのが今異様に怖い。
なにかがこの男の翡翠の瞳に吸い込まれてしまいそうで。
銃を握っていた左の手を男が左手で握った。
そして優しく微笑んできたのを合図に、銃を落としてしまった。
コツンと床に叩き付けられる音がした。
パンッ
音と共にふわりと奴の金髪の髪が数本抜け落ちた。
はっとして振り返るとホテルの窓から菊が此方に銃口を向けて叫んだ。
「“緋舞”!早く此方に!!」
言われて急いでドレスの裾を掴むと不安定なヒールで菊に向かって走り出した。
“アッシュローズ”はというと、眼を細めて菊をみやり、ふと笑った。
「“緋舞”、か。」
撃たれかけた菊にはむかっ腹がたっていたが、それより面白い物をみつけてしまったなと逃げる二人を見つめてフィルターをくわえなおした。
窓から飛び出し、外にいた菊に受け止めてもらう。
用意していたのか、近くに滞在していたヘリコプターから垂れ出したロープに菊が片腕で掴まりそのまま機内へと上げられた。
「無事でしたか、耀さん。」
「すまないある、菊。何も異常はないあるよ。」
異常がない、といえば嘘になるが、今それを菊に告げて心配をかけさせたくはない。
“アッシュローズ”から受けた口付けの感覚が新鮮に口の中に残っており、顔が火照るのがわかったが、これは違うと心の中で感情を消去した。
菊は一応耀とは表上血の繋がりはない兄弟だと言っているが、裏ではそういう関係になっていた。
そう、だから心が揺らぐなど思いもしなかったのだ。
アジトに帰ってからというもの、耀は自室に込もってしまった。
菊が呼び掛けてノックをしても全く返事がなかった。
諦めたのか、暫くして気が晴れたら逢いに来てくださいね、と残して去っていった。
隠った耀は何時も愚痴を言いながらドレスを裂くように脱ぎ捨てるのだが、本日はそんな気分にもなれず、ただストッキングと長い手袋を二つするりと女のようにゆっくりと脱ぐとそのままベッドへとダイブした。
ぎしりとスプリングがなるのが耳に心地よい。
任務失敗も菊に会わせる顔がない原因の一つだが、あの“アッシュローズ”との出来事の方が大きかった。
気に入っただと?
ふざけるな。
敵同士なのだ。
敵に銃を突き付けておかれて、あの反応はなんだ。
しかも、途中で銃を降るなど、自分の命を棄てるようなもの。
…いや、違う。
あいつは確信していたんだ。
我が絶対に撃たないと。
…ムカつくムカつくムカつくムカつくムカつく。
さすがはマフィアのトップだ。
耀は悔しさと納得してしまう心と不思議な嬉しさで静かに涙を流した。
(続)