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黒い車

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当時、学校から15km離れた場所に住んでいた。又隣の市にあるその学校までは自転車で四十分ほどの距離があった。毎晩遅くまで部活に明け暮れ、家に着くのはいつも十時ごろだった。
朝は朝で五時に起床、七時には練習を始めていた。特に強豪校というわけではないのだが、むやみに部活に力を入れていた学校だった。

季節は夏の終わりごろだっただろうか。気温はピークを過ぎ、徐々に初秋らしい爽やかな風が吹きはじめていたが、その夜は妙に蒸し暑かった。
いつものように九時過ぎに練習を終え、練習で疲れきった体を自転車に預けるようにして、鈴虫の鳴く田園に囲まれた道を漕いでいた。
同級生の家の半数が農家を営み、辺りは田んぼと茶畑だらけの田舎町なので、そういった道は全くありふれたものだった。

その道と右に50mほど離れて平行するように、一本の道がはしっていた。その道は、円を描いて上から三等分にし一番下の円弧のような緩いカーブを描いて右手前方に続いていた。
道沿いには当時よく利用していたレンタルビデオ屋と本屋、そのほか家が数件建っているだけの取り立てて特徴のない道だ。町を離れた人間でその道を覚えている人間はおそらく誰もいないだろう。

又隣の市にある学校から自転車を漕ぎ、ようやく地元の市にさしかかったころ、突然の夕立が物凄い勢いで降り出した。ちょうど真夏のタイを襲うスコールのような雨だった。
僕は田園に囲まれた道で雨宿りをする場所もなく、また汗と泥で汚れた練習着を着ていたこともあり、まいったなぁ、と思いながらもそれほど気にせず雨の中を走っていた。何よりも蒸し暑かったし、疲れていたのだ。

雨と田んぼのにおいに包まれながら自転車を漕いでいると、突然右の道から車のスリップ音が聞こえてきた。それも段々大きくなってくる。必死なブレーキ音と、タイヤが雨に塗れた舗道を捕らえきれない音が聞こえる。降り注ぐ雨と路面の水を弾き飛ばしながら、甲高い音を立てて車が滑っている。黒い車だ。タイヤからは摩擦のためか、火花が散っている。車がくるくると回転を始める。それでも車は止まらない。コントロールを失ったまま車は滑り続けた。直後、目の前に雷が落ちたかのような、ぐわっしゃあああああん、という物凄い音が鳴り響いた。
僕はそれまで、これほど大きな音を聞いたことがなかった。この世にこんなに大きな音が存在するものなのか、と思ったほどだった。
おそらく道沿いの民家に激突したのだろう。僕は目と鼻の先にあったその場所へ向かおうとしたが、何となく面倒ごとに巻き込まれたくなかったのと、あまりにも大きな音だったので近くの住民が何とかしてくれるだろうと思い、そのまま家へ向かった。
しばらくすると夕立はやみ、嘘のように静かな夜がやってきた。あたりからは晩夏を感じさせる寂しげな虫の音が聞こえた。まるでその雨が夏の最期であったかのように、心地よい秋の風が吹いていた。

翌日、事故があった場所の近くに住んでいる同級生のクラスを訪れた。昨日近くでひどい事故があっただろう、と僕は尋ねた。彼は怪訝な顔をして、首を横に振った。特に変わったことは無かったよ、今朝もそこを通ったもの。彼はそう言った。僕はそんなはずはない、雷のような凄い音がしたんだ、としつこく昨夜の出来事を話したが、彼は相手にしてくれなかった。僕は、確かに自分の目でみたのだ。タイヤから火花がほとばしり、車が回転しながら滑っていくところを。消えるスリップ音とともに鳴り響いた轟音を聞いたのだ。だが友人は僕の話にも飽きて、どこかへ行ってしまった。それから僕は、その話をするのをやめてしまった。なぜならば、誰も被害を被っていないし、誰もその事故を覚えていないからだ。ただ一人、僕だけがその事故の当事者なのだ。だが、僕はかすり傷一つ負っていない。そこには如何なるストーリーも、喜怒哀楽も、損得もない。ただ僕の脳裏に焼きついた、鮮烈な光景があるだけだ。僕の記憶だけがその事故に関っている。だとすれば、その話を誰かにするべきではない。僕が黙っていれば、それは金輪際世の中に存在しなかった事象として無に帰すからだ。誰も怒らない。誰も哀しまない。掘り起こす必要が塵一つない。

だが、僕は時々その事故を思い出す。何も起こらなかった事故。誰も傷つかなかった事故。その記憶は僕の中で澱となって、時折鈍く光るのだ。
作品名:黒い車 作家名:木村太樹