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もしもこの手を離さなかったなら

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「ユウト」
 彼女の声が聞こえる。真っ赤な夕焼けを背負って、彼女はこちらに手を差し伸べた。
「ユウト、なにしてるの」
 逆光に遮られて彼女の顔は見えないけれど、彼女は自分を見て笑顔で言った。
「ほら、帰ろう?」


      もしもこの手を離さなかったなら


「………ト」
 誰かが、呼んでいる。
「ユ……ウト」
 耳元で響く、心地良いトーン。
「…ウト……ユウトさーん」
 ぱちりと瞼を押し上げた。
「アイ、ナ?」
「もー、やっと起きたあ!ユウト、寝起き悪すぎ!」
 窓から差し込む夕日で赤く染められた教室。机に突っ伏したままのユウトに目線を合わせて、アイナはため息を吐いた。
「そりゃね、待たせちゃったのは悪いと思うけど」
「あー…。あー、ごめんねー?俺って結構多忙な人間だからさ?」
「はいはい、ユウトさんは学園の王子様ですからねー。ただの幼馴染に裂く時間なんてないですよねー」
 彼女は適当に話を切り上げて扉へと向かう。いつもと変わらない放課後の、見飽きた光景。軽く身体を伸ばして、ユウトは彼女の後を追う。

「冗談通じないなあ。なに、ヤキモチ?アイナもかわいいとこあるじゃん。黙ってれば」
「だーれーがー?あんた、目悪いんじゃないの?」
 彼女は呆れた顔で振り返る。背中まで伸びた、豊かな黒髪が空を舞った。びしりと人差し指をこちらに突き出して、彼女が言う。
 人のこと指差すなよ。そう言おうと思った。
「?……なに?」
 はずなのに、何故だかユウトは彼女の腕を掴んでいた。
 彼女はもちろん、不思議そうな顔でユウトを見る。けれど、掴んだ手を離すことができなかった。
「や、別に……?」
 そのまま、逆に指を絡ませて。しばらく歩いた。
「ねえ……なに、これ?」
 彼女は訝しげに問いかける。それは俺が聞きたい。
「ん?ああ……。なあ、アイナは明日の修学旅行、行くのか?」
「聞いてないし。修学旅行?普通に行くけど、それとこれでなんか関係でもあるの?」
「そっか。なんでもない」
 まだ支度済んでないから今日やる。だとか、自由時間はどうしよう。だとか、たわいのない話をした。アイナの手を離せないまま、自宅まで辿り着く。

「なあ」
「なによ」
 家が隣同士の幼馴染。それが自分と彼女の関係。
「明日さ、待ち合わせて行こうぜ?」
「いきなりなによ。待ち合わせもなにも、この距離じゃないでしょ?」
「そうだけどさ」
「あんたどうしたの?熱でも出た?」
「酷くない?それ」



「ユウト、早く行かないと遅れちゃうよ」
 あの時、手を離さなければ良かったと今でも思う。夕焼け空の、君を見て何度も思う。
「ユウト……危ない……ッ!」
 はじめて見た、君の泣きそうな顔が忘れられない。きっと、泣きたいのは俺じゃなくて君なのに。
 どうして、あんなことをしたの?
 どうして、俺を突き飛ばしたの?
 どうして、君は起きないの?
 どうして、
「ユウト」
 差し出された手を見て、何度だって手を伸ばす。あの時掴んだ、その手に向けて。
「ユウト、なにしてるの」
 ねえ、アイナ。
 君の手を、俺は取ることができるのかな。今でも後悔してるんだ。
「ほら、帰ろう?」




 ねえ、アイナ。教えて欲しいんだ。