月も朧に
その日佐吉は、女形の姿をした永之助を、初めてまともに間近で見た。
「べっぴんやな……」
まるで女の子の弘次郎とは違い、どこか中性的な雰囲気を醸し出している。
立役もこなせる。そこが違うのだと納得し、じっと見ていると、
「こんなんでビビってちゃダメ。お永ちゃん、もっと美人だぜ」
利三がこそっと耳元で囁いた。
一度も見たことがない『お永』
しかし、彼はそんなこと今はどうでもよかった。
今自分は南郷力丸。弟分の弁天小僧菊之助と浜松屋に強請に行かねばならない。
チョンチョンと|直しの柝《なおしのき》(※3)が入った。
じきに幕が開く。
「……今日から千秋楽まで、よろしくな、菊之助」
「よろしくお願いします、兄ぃ」
鳥屋揚幕《とやあげまく》(※4)がチャリンという音を立てて空いた。
浜松屋の店先に、御供の若党、|四十八《よそはち》を連れてやってきた武家のお嬢様。
出迎えた番頭はその美しさにデレデレ。
お嬢様所望の品を店の者たちが準備する間に世間話。
『さてまた本日はお日柄もよく、八幡様も大層な人出でございますが、人出と申せば当月は、若手花形歌舞伎が大層評判だそうで。お嬢様も、お芝居はお好きでございましょう?』
『ほいのぅ』
『さようでございますか。では一つこの番頭が、お嬢様のご贔屓のところを当てて御覧に入れましょうかな?』
この番頭と御客人二人のやりとりが観客の笑いを誘う。
『お嬢様の御贔屓は、何といっても今若い娘さんに一番人気の、美男。屋号は藤屋。山村永之助でございましょう?』
『あのような役者は大嫌いじゃわいなぁ』
『では、男前で芝居上手の大川虎三郎でございますか? でもございませんか…… では、石川雪弥? 井上竜五郎?』
お嬢様は頭を振るばかり。
『はてなぁ…… あ、今度は図星というところ! 最近上方から乗り込んできた注目株、倉岡吉治郎でございましょう?』
『あい……』
当たって恥ずかしそうに顔を扇で隠すお嬢様。
しかし、隣で控える四十八は仏頂面。
『拙者、あのような役者、大嫌いでござる』
そうこうしている間に、店の者が品物をお嬢様のところへ運んでくる。
帯地、襦袢地、鹿の子を次々に見せていく。
そしてそっとお嬢様は自分の懐から緋鹿の子の帯揚げを出し、紛れ込ませる。
そしてそれをまた懐に入れ、万引きと見せかける……
それを見ていた店の者が番頭に報告し、番頭は帰ろうとする御客人二人を止める。
そこへやってきたのは鳶頭清治。
万引きを察知した店の物が呼んだのである。
『振り袖姿のお嬢さんが、万引きするたぁ気がつかねぇ』
「待ってました」との大向うに、利三はキザって、
「待っていたとはありがてぇ」
捨て台詞《すてぜりふ》(※5)を勝手に入れた。
若い客のウケは大変いいが、年配の目の肥えた客からは非難轟々である。
おそらく舞台袖では、世話役の緒川清十郎が天を仰いでいることだろう。
いきなりの捨て台詞にも動じず、佐吉は芝居を続けた。
『お嬢様を万引きなどと、当て事を申して、後で後悔致すまいぞ』
店の者は万引きしたと言い、客人二人はしてないと言い張る。
番頭は論より証拠と、お嬢様の懐から帯揚げを抜き取った。
そして算盤をお嬢様の額めがけて振り下ろす。
店の者たちが寄ってたかってお嬢様を打ちのめす。
そんなところへ帰ってきたのが、浜松屋の息子、宗之助。
「三河屋!」
店の中の大騒動に驚く宗之助。
『これはしたり、店先で立ち騒ぎ、静かにしたがよい』
しかし、若旦那の制止も聞かず、店の者は袋だたきを続ける
四十八がどうにかこうにか彼らを払いのけ、
『身に覚え無き万引き呼ばわり。盗んだというは、その布か?』
彼はその布は万引きしたものではない。ほかの店で買ったものだ。値札をよく見ろと確認させる。
確かにそれは他店の品物。そのうえ四十八はそれを購入した際の証拠の書付を持っていた。
驚き萎れる店の者たち。
『よも、万引きとは言われまい』
見得を切る佐吉に大向うが掛かった。
「芳野屋!」
店を代表して謝る宗之助。
『幾重にもお詫びをいたしまする。どうぞご料簡なされてくだされますよう。一同お願い申しまする』
しかし、謝罪を許さない四十八。
お嬢様の正体を明かし、婚約が決まっていたのだと怒り心頭。
主を出せと迫る。
奥から出てきた店の主、幸兵衛。
『なんとも申し上げようなき手代どもの不調法、お詫びの趣意は立てましょうほどに、どうか御了簡なされて下さりませ』
しかし、四十八は許さない。
なぜなら、大事な大事なお嬢様の額には大きな傷が……
四十八は面目が立たないから、浜松屋の面々の首をはね、自分も切腹すると言出だす始末。
お嬢さまはそれを止め、鳶頭清治が店と客の間に入る。
『ここは一番、道でお転びなすったとか、屋根から瓦が落っこって額をつっけぇたとか。
そこは貴方のお口先で、なんとか言い繕っちゃくださいませんか?
その代わりにゃお礼はしっかり致しますから』
お嬢さまは許しなさいと言うので、四十八は落ち着くのであった。
それをうけ、鳶頭清治は店の主に金を用意させる。
十両の金を包み、四十八に差し出したが、彼はその金額に不満を示す。
気に喰わない鳶頭。百両なら許すと言う四十八。
鳶頭は暴言を吐く。
『二本差しが怖くて焼き豆腐や田楽が食えるかい! 斬るなら俺から斬りやがれ!』
威勢よくそう言った彼に向って四十八は刀に手をかける。
あわてた店の者たち。鳶頭を店の外に連れ去る。
主の幸兵衛は百両を出し、問題は解決したかに見えた。
しかし……
『お侍。ちょっと待ってもらいたい』
店の奥から侍が出てきて、今にも帰ろうとする二人を呼びとめる。
「巽屋!」
玉島逸当と名乗る男は、二人の素性を怪しんで声をかけたのだった。
お嬢様は二階堂信濃守家中の、早瀬主水の息女だと名乗り、
玉島逸当は自分はその家に出入りしている者であると名乗り……
『早瀬主水と名乗る者、我が屋敷に覚えない。ことには縁組定まりし娘というも、まさしく男!』
『え、なんで私を、男とはいぇ……』
お前の正体は男だと言われ、うろたえるお嬢様。
しかし、玉島逸当は責めることをやめない。
『女というても憎からぬ姿なれども、二の腕にちらりと見たる桜の彫物。なんと男であろうがな』
さらにうろたえるお嬢様。
『さあ、それは……』
『ただし女と言い張らば、この場で乳房を改めようか?』
さぁさぁと二人は押し問答。
『騙りめ、返事は! なな、何と!』
俯いていたお嬢さまの花簪が、ぽとりと落ちた。
ゆっくり、悔しげな表情を浮かべた顔を上げるが、その顔はすでに女の顔ではない。
「藤屋!」
『兄ぃ。もう化けちゃいられねぇ。おらぁ尻尾を出しちゃうぜ』
弁天小僧菊之助の化けの皮が剥がれた。
完全に男の声音と口調でそういうと、客席からドッと笑いが起きた。
正体がばれたのは武士の四十八、実は南郷力丸も同じ。