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海底奇談(6/16編集)

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「あたしの母親の母国は、最後の楽園って言われてるほど自然がたくさん残ってる国なのね。で、結構昔のままってことは、色んな言い伝えこみで残ってるってわけでしょ。島国だから特に海に関してはかなりあるんだけど、今回はあたしが体験したことを話すね」

 #甘蜜乙女__あまみつおとめ__#は、魚をとるためにたびたび海に潜る。

「自慢じゃないけど小学校に上がる前からやり続けてるから、ここにいる誰よりも長く海に潜ることができると思うな。今からするのは、そのときの話なの」
「ねぇ、長く潜れるってどれくらいの間息が持てるの?」
「そうねえ、獲物をとれたら一回一回船に戻っちゃうから、平均したらそこまでないかもしれないかな。でも長く潜ってるときは一分から二分ほどは平気かな」
「動きながら……?」
「もちろん。じゃないと魚とか獲れないし」
「動きながらは……すごいわな。軽く尊敬するわ」
「えへへ、なんか照れちゃうね。あ、話を戻すね」

 その日は、本当に雲ひとつない晴れの日だった。
 水平線あたりにマシュマロみたいな小さな雲とかがある晴れの日ならいつも通りだったのだが……本当に青空だけだったものだから、気味悪がっている人もいたぐらいだ。だから海に出ないってわけにもいかなくて、その日も乙女は海に出かけていった。

「まあ、あたしはそこまで気味悪いとも思ってなかったんだけどね。そのときは」

 しばらく息継ぎも交えながら潜っていたが、そこでやっぱり海がいつもと違うことに気づいた。だって魚が一匹も見つからなかったのだ。岩陰にも。それにそよ風さえも吹かない、完ぺきな『凪』状態だった。
 以前祖父に、そういう状態ではいくら潜っても魚は出てこないって教えてもらっていたから、漁はその時点で諦めた。ただ、こういうことってたぶん二度とないだろうから思いっきり楽しんでおこうと思った。
 銛とかを乗ってきた船において、ただ純粋に楽しむために潜った。

「ホントすごかったよ。あ、そうそう。あたし、潜るときも服着たままなのよね」
「え、普段着のまま?」
「ええ。あたしの家、海から近いし。あ、きちんと家に帰ったらすぐ着替えるよ!」
「そういう問題じゃねぇと思うが……」

 それで底まで潜って、重しになりそうな石を持って海底に立ってみた。石などを持っていないとどうやっても浮いてしまうから。
 そこで乙女は、言葉にしがたい感動とはこういうことだと、初めて実感した。
 魚が泳ぐ音も、波が立てるのわずかな音さも、ぜんぜん聞こえない。その世界で動いているのは自分と海底に差し込んでくる光だけだったのだから。
 地上では大人しくまとまっている髪も、ふわふわ揺らいでいる。Tシャツの裾も、風で靡くよりもゆっくりと揺れていた。

「本当に素敵な時間だったな」
「……おい」
「なに?」
「まさかそれで終わりじゃねぇよな。怖いどころか不思議でもなんでもねぇぞ?」
「全くせっかちね~。ここからだよ、肝心なのは」

 そうこうしてる間に、乙女はあることに気づいた。今思えば何でもっと早めに気づかなかったのかって話なのだが。
 乙女は、明らかに五分はそこにいるのに、息が苦しくならない。どうしてだろうと思うよりも早く、そのことに少し驚いて抱えていた石を落とした。石はゆっくり、乙女の爪先の少し前に砂埃を立てて落ちていく。自分の躰は、もう何の重しもないのに浮いていかなかった。
 あれと思って、海底をけっても少し躰が浮くだけでまたそこに着陸。試しに海底を歩いてみると地上と同じように歩けてしまう。

「なんて言えばいいのかな、宇宙飛行士が月の上を歩いてる映像ってあるじゃない。あれと似たような感じ」

 いよいよ怖くなってきて、とうとう乙女は泣き出した。
 自分自身でも五月蠅いと思うくらい大声で。精一杯、お腹に力を込めて、大声で。『海の中』にも関わらず、大声で。
 そこで、どうして海底に立っているのに息苦しくないのかがやっと理解できた。自分は、いつの間にか魚みたいに『呼吸』できていたことに。
 でも今更そんなことが分かったところで、水死体になる可能性が消えただけで、状況はなんにも変わらない。だから一生懸命訴え続けた。

「誰にですか」
「誰にって、『海』以外にないでしょう」

 ――お願いします。あたしは帰りたいんです。家族と住んでいるあのお家に。お願い、帰らせて。お願い。あたしを地上へ帰して――。

 迷子の子供みたいに泣き喚きながら、延々と叫んでいたら躰が少しずつに浮きはじめて、やっと海の上に顔を出せた。
 とんで帰って祖父母に話したら、海に魅入られたんだなと言われた。
 ときどき、あるそうなのだ。雲ひとつない青空で風もない日、海へ入って行った人達が帰ってこなくなることが。運よく誰かに発見されて帰ってこられた人たちも、ずっと海を見つめるだけの廃人になってしまうことが多いらしい。そして、ふらりと海へ出て行ったきり帰ってこないと……。

「だからあたしみたいに、無傷で意識がはっきりした状態で戻ってきたってのは前例がないって言ってたわ。もう、ラッキーやらおっかないやらで翌日熱出して寝込んじゃったわ~。これで、あたしのお話はおしまい」
「……とんでもない体験談ねぇ」
「あらそう?」
「そうですよ。よく帰って来られましたね」
「必死に祈れば通じるものなのね~」

 話している間の緊張感はどこへやら。テスト終了後のように和やかな雰囲気になった。うん、やっぱりあそこで止めておいてよかったんだと乙女は思った。
 ……実を言えば、この話には後日談がある。
 その後もときどき、海中での呼吸ができるようになっていった。更に、呼吸ができる状態のときに海面へ向かおうとするとわずかに抵抗があるようになった。それも日に日に抵抗が強くなってきているように感じる。海の中で呼吸ができるようになる時も、目に見えて増えていってる。
 逆に地上にいる時、特に海から上がった直後は倦怠感を感じる。前は多少の疲労感はあったけど、今ほどひどくはなかった。何より、前にもまして、海が恋しくなった。

(やっぱり、あの時から海に魅入られてしまってるんだ)
(ああ、ほら)
(海の声が、聞こえてくる)
作品名:海底奇談(6/16編集) 作家名:狂言巡