幽霊こども
窓の外、子供が二人、雨の中を傘も差さずに、ずぶ濡れで立っていた。
「姉ちゃん、俺、ちょっと行ってくる!」
傘を手に、俺は姉の部屋を飛び出した。
しかし、いざ駆けつけてみると、もう子供たちはいなくなっていた。
手ぶらな感を抱きつつ、アパートの二階の姉の部屋に戻る。
姉は何も訊かなかった。
ふと窓の外を見ると、さっきと同じ場所で、子供が二人また立ち尽くしている。
「あいつら、戻って来たのか?」
そこで再び同じ場所に行ってみたが、彼らは消えていた。
ところが、部屋に戻り窓から覗くと、相変わらず二人の子供が雨に濡れていたのだ。
ようやく姉が口を開いた。
「この窓からしか見えないの。あたしにしか見えないと思っていたんだけど」
「まさか、幽霊…!?」
こりゃまずい。
姉は、暴力癖のある恋人と、最近やっと別れることができて、今は静かに暮らしていた。
しかし、心の傷は深く、いまだ情緒不安定だ。
ある事情のため、家族から離れて独り暮らしをしていたので、俺が週何回かはこうして姉の様子を見に来ていた。
今の姉に、あんな気味悪いものを見せておいて、良い影響があるはずない。
「姉ちゃん、家に戻って来ない?」
姉は首を振った。見えるだけで実害はないからと冷めた風に言ったが、決して窓の外を見ようとはしなかった。
それからも俺はちょくちょく姉を訪れた。
子供らは、相変わらずそこにいた。
しかも、この部屋をじっと見つめている。身じろぎせず鬼気迫る様子で、目を離さない。
一人は小学校の低学年くらいの年頃、もう一人はまったくのチビで、両方とも男の子、兄弟かもしれない。
お祓いのつもりで奴らのいる場所に塩を撒いたが、効果はなかった。
ある日、会社からの帰宅途中、不意にだれかが俺の腿にすがりついてきた。
驚いて見下ろすと、すがっていたのは、なんと例の兄弟の弟の方だ。
「たちゅけて(助けて)!」
どういうわけか、すぐに姉のことがひらめいた。
「姉ちゃんに何かあったのか!?」
チビが肯くが早いか俺はチビを抱きかかえ、姉のアパートへ急いだ。
部屋のドアを開けるなり、ひどい散乱状態を目の当たりにした。
物が割れる音に慌てて駆け込むと、姉が血まみれになって倒れている!
その前で男が暴れている。姉の別れた恋人だ。
「このガキ、邪魔するな!放しやがれ!」
兄弟の兄が、男の腹にしがみついていた。
男がどんなに振り払っても兄は必死に抵抗し、男が姉に近寄るのを阻止している。
そこへ弟のチビも飛び込み、男の足に噛みついた。
男は子供たちを盛んに殴ったが、子供たちは決して男を放さない。
もちろん俺も見ているばかりではいられない。格闘の末、どうにか男を取り押さえた。パトカーのサイレンの音がして、大勢の人がやって来る足音が聞こえた。
小さな兄弟は、自分たちだって血だらけなくせに、一生懸命に姉を介抱した。
姉が意識を取り戻すと、初めて笑顔になり、すっと消えた。
それきり、二度と姿を現さなかった。
病室で、俺は思い切って姉に尋ねた。
「姉ちゃん、もしかしてあいつの子供、堕ろしたことが…」
初めて近くで見た兄弟の顔は、驚くほどあの男に似ていたのだ。
しかし、姉は首を振った。
「あの子たち、ずっと『ママ、逃げて』と言っていたの。彼が襲ってくるのを知っていたのね。
でもあたし、これは罰だと思っていた。結ばれる運命に逆らい、暴力をやめられない彼を救いもせずに、逃げた罰。
あの子たちは…あたしが彼と別れなければ、生まれてくるはずの子供たちだったのかもしれない。なのに、命として一瞬すらも宿してあげなかった。
そのくせ、あたし、離婚した父さんと母さんを今も許せないでいる。自分だって彼も子供たちも捨てたくせに。
だから見えてしまうのかと思った。ずっと見つめていく罪なのだと思っていた。
だけど、違ったのね。あの子たち、恨みもせずに…」
泣きじゃくる姉と一緒に、俺も後悔していた。塩なんて撒かなければ良かった。
果たして、姉の言う通り、彼ら兄弟は、姉と別れた恋人との間に生まれるはずだった運命の子供たちだったのだろうか。
しかし、生を受ける運命から洩れ、今はどこにも存在しえない。
ただ、愛情だけは知っていた。男と女の一時の愛情の、形見だからこそなのか。
彼らが天使になっていたらと思う。忘れ物みたいに消えてしまうだけなんて、哀しすぎる。
<おわり>