あなたのための傘
店は骨董品屋だったが、傘は新品、赤いビニール布のありふれたタイプだ。値が張るようには見えない。
店員も、特徴は眼鏡くらいの平凡な男。
断られたきまり悪さもあり、このまま骨董品屋なんかで雨宿りする気にはなれなかった。
とはいえ、外は大雨、心細く思っていると、店員がカウンターにあたしを差し招いた。
「お売りしても良いんです。その代わり、私の話を聞いてからにしてください」
と、彼はコーヒーを入れながら話し始めた。
「この地球は、『大きな大きな女の人』の顔の下にあることを知っていますか?
大きな大きな女の人が泣くたびに、地球には、雨が降る。
女の人は恋をしていて、ただそれはかなわぬ恋だったから、彼女はずっと泣き続けています。
そういうわけで、ここのところずっと雨。今日は、ことさら辛いようです」
彼は、ウィンドウに滝のように滴る雨を見つめた。
あたしは、聞いていたくない話だと思った。
「しかし、広い孤独な宇宙では、彼女を慰める者はいない。
そこで作られたのが、この傘です。せめて、地球人だけでも彼女を慰めてやりましょう。
一見普通の傘だけれど、差す人の心によっては、色鮮やかに光るようにできています。
女の人を思いやる気持ちが、真っ暗な宇宙の中、ちっぽけながらも確かに輝く。
その美しさに、女の人はきっと私たちに気がつくでしょう。
独りぼっちではないことを知り、誰かがちゃんと彼女を思いやっていることを知り、少しでも慰められてくれるでしょう。
この傘は、そんな特別製の傘なんです」
あたしは、果てしない暗黒の宇宙、独りきりで泣き続ける女の人を思い浮かべた。
「だったら、あたしの顔の下にも、『小さな小さな地球』があって、あたしが泣くたびに、雨が降るのかな。
大好きなあの人とお別れして泣いているあたしを慰めるため、小さな小さな人間たちが、あたし一人のために、傘を差してくれるのかな」
コーヒーの香りにほだされたのか、口をついて出てしまった言葉にあたしは慌てた。
いつの間にか店員は古びた鏡を持ち出し、あたしの顔を映していた。
「さあ、よく見て。あなたの顔の下、顎のあたりにぽつんと浮かんでいますよ」
はじめは何も見えなかったが、そのうちぼんやりと、やがてはっきりと現れたのは、まぎれもない、小さな小さな地球だった。
鏡の中は真っ暗で、地球はとても頼りなく見える。
地球の一点で光るものを、あたしは見つけた。
淡い赤い光。よくよく見ると一本の傘だ。
傘は次々開いていった。赤、青、黄色、無数の色の光が小さな地球のあちらこちらで繁殖し、瞬く間に地球を埋め尽くした。
地球は満開の紫陽花となり、宇宙の暗闇の中、淡く優しく発光を繰り返す。
こらえきれず泣いてしまった。地球は、あたしに向かって光を放っていたので。
頭上からも淡い光が降り注いでいた。店員があたしに売り物の傘を差しかけ、にっこり笑っている。
涙の雨に濡れ、鏡の中の地球も、現実の傘も、ますます鮮やかに色を染めた――。
店を出ると、雨はやんでいた。でも、また今にも降り出しそう。
赤い傘を手にするあたしに、店員がウィンドウ越しに微笑む。
あたしは、空を見上げた。
どんなに哀しくても、独りぼっちではないことを、あたしは「あなた」にも知って欲しい。
雨をよけるためではなく、また自分だけのためでもない、誰かのために差す傘がある。
ぽつりぽつりと来たときに、今のこんなあたしでも、大空へ向かって、大きく大きく傘を開けますように。
<おわり>