飛んで火に入る
彼女の羽は宝石の粉を詰め込んだように輝き、見るものを皆魅了した。
彼女は蝶である。
彼女は世界の色彩を惜しむことなく自身の鱗粉一つ一つへと詰め込み、常に花を草を空気を太陽を喜ばせた。
彼女は風とダンスを踊り、彼女の軌跡を作るように鱗粉を地へと降らせた。
もしここが砂漠なら、彼女の鱗粉を与えられた大地は極彩色の花が彼女にわが蜜を吸ってもらうべく競うように咲き誇るのだろう。
彼女は天女と女神の両方の気高さと崇高さを持ち、王妃さながらの確固たる地位を生まれながらに確保し、それでいて少女のように花畑の上でふわふわと無邪気に踊るのだ。
しかし時には娼婦のように、花たちの猥らな花粉を身に纏い、ほかの花へとまた移る。
花はそれを見て、豪く興奮する。時折花粉が鱗粉と混ざり合うと、それだけで昇天してしまうような恍惚と快楽に溺れるのだ。
彼女の体は大変細く、繊細で、硝子細工よりも尊い。宝石の羽に隠れる体躯もやはり芸術さながらの美しさを誇っている。
私は、そんな彼女を何よりも愛している。
しかし私は醜い。大層、汚らしい。
私は蛾である。
彼女のように太陽や花に愛されることなど、前世も来世もあり得ないことなのだろう。
私は夜の蟲だ。
いつも暗闇に薄ぼんやりと浮かぶ、下品な橙色の明かりを求めて、まるで気違いのように堕ちているのか飛んでいるのかもわからぬような旋回を繰り返すのだ。
そして、その明かりは私たちを穢れだと言って跳ね除ける。
私たちは本能に従い、本能に焼かれ死ぬのだ。とんだ道化師だ。
なぜ明かりは私たちを受け入れてくれないのだ。明かりは、きっと自己愛主義者なのだ。
自分が大層輝くため、まるで自分が太陽にでもなったかのように錯覚しているのだ。
思い違いも甚だしい。
明かりなど、夜になれば皆輝いているように見える。自分を特別だと、思い込んでいるのだろう。
加えてその明かりを求めて多くの蟲たちが集るものだから、明かりの勘違いに拍車をかけている。
集まっている蟲たちは、皆不細工で醜い。しかしそれに混ざって私も羽を下品にばたつかせているのだから、ほかの蟲のことを言えた口ではない。
どうして私は真っ暗闇のなか、自己陶酔した明かりなんかに向かっていかねばならないのだろう。
どうせ明かりを求めるのなら、真夏の太陽に向かって、焼かれ死んだ方がまだ神話的だ。蛾は神話の真似をすることすら許されない生き物なのだろうか。
こんな生まれながらにして厭われ憎まれ、穢らわしい鱗粉に身を包まれた私でさえも、もちろん至福の瞬間というのは訪れるのだ。
私は夕刻に時折、ほんの少しではあるが、蝶と言葉を交わす時間が与えられる。この僅かは幸福を与えてくれるのは神の御心のためなのだろうか。だとするとこれは神による救済なのだろう。もちろん神の思惑通り、何にも値しないほどの幸福感に満たされた。
「今日も麗しゅうございます。」
そう告げた。もはやこれは私の挨拶のようなものだ。
「あら、ありがとう」
蝶は、バイオリンよりもか細く、ピアノよりも鮮明に、讃美歌のような印象を持たせる声で言葉を私にくださった。
その一言だけで眩暈がした。その一言だけで私に価値を与えてくれた。
私は彼女と同じ空気を吸っていると考えるだけで、幸福の海に沈んだ。
そんな私に蝶は視線を送った。私のような穢れを、彼女の万華鏡のように美しく、ステンドグラスのように太陽の光を反射させる目に映すなど、なんと罪深いことだろう。きっと彼女を愛する太陽や花に知られたら、私は極刑だ。しかし、なんて甘美な罪なのだろう。
「私はね、貴女が羨ましいのよ」
そう讃美歌は空気を振動させた。
振動を受け取ったものの、私は一体何を意味しているのか分からなかった。
「今、なんと…?」
ああ!聞き返すなんて贅沢なことを!私は本当はその言葉をもう一度噛みしめたかっただけではないのだろうか!
もう一度聞いてしまったら心臓が張り裂けてしまうのではないだろうか。そうなったら、きっと私はこの世の何よりも幸せな理由で生を全うすることになるのだろう。
「貴女が羨ましいの。貴女は素敵よ。色彩という煩悩を捨てて、焼かれると知っていながら本能が望むままに生きている。昼なんて、みんな太陽の下にいるから価値観が薄れてしまうのよ。でも夜は違う。なんて神秘的なのかしら。暗闇に浮かぶ小さな太陽のような明かりへ迷うことなく飛んでいく貴女達は、とても生き生きしている。私なんて、上から落とされた折り紙の残骸のようにふらふらと目的なしに風に遊ばれているのよ。ああ、いつか貴女と夜の散歩に出かけたいわ」
私は生きながらにして天国を知った。なんてことだろう。この感動を形容する言葉など見つからない。言葉とはなんて頼りない物なのだ。ああ、でも返事を、何か答えを返さなくては。
「あ、ありがたいお言葉でございます。しかし、ああ…」
言葉が出てこない。何を伝えればいいのだ。
「いいのよ、所詮ない物ねだりだってことはわかっているの。私はいつだって欲望に満ちているわ。すべてが羨ましいの。こんな、外見にだけ色を載せても、私はいつも空っぽなのよ。中を覗いてみると欲望しか入っていない。なんて不恰好なのかしら。それならばこんな煩い色彩捨ててしまいたい。無駄なのよ」
やはり住む世界が違うと、こうも悩みも違うのだ。彼女の悩みはなんて崇高で儚いものなのだろう。しかし悩む彼女もまた美しい。
「でも、どうして私たちって形が似ているのかしらね。もしかしたら、私たちは双子なのかもしれないわ」
なんてことだろう!彼女は、私を何度絶頂へと誘えば気が済むのだろう。
心臓など疾うに張り裂けているのではないだろうか。心も頭も彼女の紡ぐ一言一言でいっぱいなのだ。
こんなに一遍に幸せを得てもいいのだろうか。
これは双子だから許されることなのだろうか。
生まれたころはすでに彼女は美しかった。若葉のような青さを誇り、白い産毛はまるで食べごろの桃のように可愛らしかった。
それに比べて私はなんだろう。生まれた時からすでに、汚かった。芥同然の姿だった。まるで針金のような黒い毛を体から無様にも生やし、蛆虫のようにみっともなく地を這いずった。
そんな私たちが、双子だと彼女は言うのだろうか。彼女の絶対値に存在する私。彼女の負を私が表しているのだろうか。
彼女の負を私が担っているのだとすると、それは私の存在価値となるのではないだろうか。
そう思うだけで、見える世界がまた違うように感じられた。なんて素敵なのだろう。
ぼんやりとそんなことを考えていると、もう夜が近づいていた。
「ああ、もう夜になるわ。私は隠れなくては。でも貴女は今から月の下で舞う王妃だわ。夜の舞踏会、楽しんでらしてね」
そう言って別れを告げた。
私の頭では彼女の言葉が幾重にも響き、消えそうになるたびに反芻し、時々自身で彼女の言葉を再現した。
こんな幸せな夜が来るなんて、思ってもみなかった。
今まで下品だと思っていた明かりも、彼女の魔力で美しく見えた。