ぼくの世界と物語
ぼくは、悔しかったのです。
ぼくが生み育てた物語は、いつもいつも汚され貶されるのです。ぼくはそれが、とてもとても苦しくて、泣きそうになるのです。
「泣いたって無駄だ。きみのオハナシには魂が無いさ」
いつもいつも、きみはそう言って、ぼくをいじめるのです。
ぼくが今まで生き考え想像し、苦しみ喜んできた人生を、否定するのです。
「わたしは一生懸命物語をつくったのに」
必死に抵抗しても、きみはせせら笑うのです。
「これは、物語とはとても呼べたものじゃない」
ははっ。どんな干物より乾いた笑いがこぼれます。そしてこんなところで干物という、まったくもって関係ない言葉が出てくる自分の頭が憎いのです。
自分の生きる世界で、物語のもとを考えている時、気付くのです。
自分の気持ちが、偽物だったのです。自分の心が、偽物だったのです。全部全部、演技だったのです。
今日あった出来事に対して浮かんできた気持ちが、全部文章なのです。文章なのです。人生が。
そしてぼくは気付いてしまうのです。
つらつらどくどく、言葉が溢れ出て、滲み出て、零れ出て、ああ死にそうだ。なのに気持ちは、心は、これっぽっちも湧きやしない
まわりの人間より難しい本を読んだら、格好いい気がした。
小学校一年生。小学校三年生向けの本を読んだ。勝ち誇った気になった。
小学校二年生。小学校六年生向けの本を読んだ。堪らない優越感に酔った。
小学校三年生。推理小説に手を伸ばした。意味がわからないけど、ひたすらに面白かった。
小学校四年生。たまたま読んだ推理小説に性交シーンがあった。どうにもならない熱が溢れ出た。
小学校五年生。分厚いハードカバーの本を読むことに専念した。その本なあにの質問が快感だった。
小学校六年生。でもなんだかんだで漫画も読んだりするよアピールもした。低能なサルがよってきた。
ああ、ぼく、格好いい! ああ、ぼく、褒めてよ! ああ、ぼく、凄いよね!
批評家ぶるのが楽しかった。悪いところをあぶり出すのが楽しかった。
「じゃあ、きみが物語を書いてみなよ」
否定されて否定されて、悔しくて悔しくて。
でもそれも全部全部、ああ魂が、心が、こもってなかったんだ、と。
すべてストンと納得してしまうと、後にはないも残りはしないのか、と。
「なあお嬢さんや?」
ああきみか。ぼくを否定するの?
「そんなことはしないよ」
あのな、物語は世界だ。ひとつの物語は、ひとつの世界だ。それは誰にも汚されるべきじゃないんだ。
逆に言おう。世界は、物語だ。物語を伝えるのは、何も言葉ばかりじゃないさ。音楽でもいい。絵画でもいい。瞳でもいい。掌でもいい。
でも、その根っこには何があるんだい。
魂だろう? 心だろう? 命だろう?
「その世界は、汚されるべきじゃないの? なら、何であなたはわたしの世界を汚すの?」
ははっ。わたしが汚しているのは、きみ自身だよ。
「干物みたいに乾いた笑いね」
ぼくは、満面の笑顔。