ひとつだけやりのこしたこと
もう一つ、わたしがずっと迷い続けた問題がある。
むかし、なだいなだ(精神科医・作家)の小説を読んだ。忘れた部分を適当に補って紹介するとこんなストーリーだった。
ある少女の治療の過程でその少女が治療者に恋心を抱くようになる。
その治療者と友人との会話。
「異性の治療者に恋をするのは投影といわれる現象の一つなんだ。ごくありふれたことだよ。」
「 待ってくれ、それは相手が自分を救ってくれるひとだからだろ?それはほんとの恋じゃないよ。いわば錯覚だろ?」
「おまえの言うほんとの恋と彼女の恋と、どこに違いがあるんだよ。ありはしないよ。」
治療は順調に進み少女はすっかり明るくなり、「ねえ、わたしが18になったら先生は43才ってわけね。そんなにおかしいことじゃないよね。」などとはしゃいでいる。
そこに電話が鳴る。
「今患者がいるから、あとでかけ直す。」
はっと気づいて彼女を振り返った時、少女は部屋をかけだしていた。「恋人」ではなく「患者」に過ぎなかった、という事実に深く傷ついて。
小さくため息をついて彼はカルテを引き寄せる。そしてそこに「治療完了」と書く。
この小説からわたしは次のことを学んだ。
治療者に「頼る」ことなしに心の治療は進まない、しかし最後には頼る気持ち(時に恋愛感情となる)を断ち切らなければ治療は完了しない。
さとみはたかしに支配されてきた。
最初の頃わたしはさとみを泥沼のような状態から引き出すためには手を取って強く引っ張らなければならなかった。でも、その手は離さないといけない。さとみは自分の足で歩かないといけない。そうでなければさとみはただ支配者を変えただけになる。
さらに
治療者と患者(クライアント)とが恋愛関係に陥ることには上記のような治療上の問題のほかに倫理上の問題が存在する。
教師は生徒と「恋愛」してはならない。
検事は取調中の女性をホテルに誘ってはならない。
同じようにカウンセラーはクライアントと恋に落ちてはならない。
なぜならその関係は対等ではないから。
時にはそれはとても「卑劣」な行為でさえあり得る。
もしほんとうに真剣に相手を愛そうとするなら、生徒が卒業するまで、被疑者の無罪が確定するまで、クライアントの治療が完了するまで待たなければいけない。上下関係のない自由な個人として向き合ってあらためて関係を作っていかなければならない。
そう思う。今でもそれが正しいと思う。
でも明らかにわたしはさとみを女性として愛している。
わたしはさとみを愛すること、愛し続けることができる。でも、そのことは同時にカウンセリングの失敗を意味するのだろうか。わたしはカウンセラーが最低限守らなければならない規範をさえ守れない失格者なのか。
外科医は配偶者や自分の子供の手術は決してしない、と聞いたことがある。
もうこのわたしに彼女の心の傷を癒すことはできないのか。
そんなはずはない。
現に彼女は治りつつある。
作品名:ひとつだけやりのこしたこと 作家名:つだみつぐ