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つだみつぐ
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novelistID. 35940
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ひとつだけやりのこしたこと

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たとえば車を運転して出勤する途中、それは毎日見ている風景なのだけど、何かの花が咲いていたとする。
何気ない風景に過ぎない、けれどさとみは瞬時に一年前、同じ花が咲いた時期のさとみに戻ってしまう。PTSDによるフラッシュバックである。
「そのときのことを思い出す」というのとは、違う。突然の津波にさらわれるように、「おそわれる」、あるいは「包まれる」、という感じだと思う。それは制御できない。しばらくの間、からだが動かないのではないかと思うほど強い悲しみと無力感にとらわれる。一年前にタイムスリップしているのだ。
重度のPTSDではないからさとみは少し後には普通に運転も仕事もできる。でもその日一日中「頭が下を向いてのたのた動いている(さとみ自身の表現)」ような感じは続く。

いったい、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に対する心理療法はどのようになされているのか。あるいは周囲は患者にどのように接するのがよいのか。

わたしはさとみの心を癒すことができるのか?どうやって?


たとえばトラウマ(心的外傷)の原因となった出来事を繰り返し想起させることはプラスなのかマイナスなのか。
フロイト以来、精神分析療法においては治療者と患者の対話によって隠されて抑圧された「真の原因」にたどり着き、「言語化」することが基本的に重要であるとされている。重要、というより、「もしそれでも治らなかったらそれは真の原因ではないから、探求を続けなければならない」とされるぐらい、この療法においては本質的なのだ。

でも、ごく最近ブルース・ベリーというひとの著作を読んだ。被虐待児童やコロンバイン高校銃乱射事件でPTSDになった生徒のケアなどをしてきた医師だという。そこには「トラウマの原因を積極的に想起することを促したグループとそうでないグループとでは後者の方が予後が良好」との記載がある。
つまり、「いやなことは無理に思い出さず忘れた方がいい」のだ。

しかしこのことは「マイナスの記憶を抑圧する」ことであってはならない。抑圧された記憶は必ず身体症状など、一見関連がなさそうな症状となって噴出するからである。

そのへんのことをわたしは「下痢」にたとえてさとみに説明したことがある。下痢の時下痢止めを飲むのはよくない。たとえば腸内の微生物バランスが崩れて毒素が発生しているのかも知れない。でも、だからといって下剤を使って無理に腸を空っぽにするのもよくない。
自然に排泄されるのに任せるのがよいのだ。
あるいは「かさぶた」にたとえた。傷が治りかけてかさぶたができても、時にはその下で細菌と白血球の戦いは続いていて、少量の膿がたまっていることがある。そのときは切開して膿を出してやるのがいい。でも、治るものならほっておいて自然治癒力に任せるのがいい。切開する場合でも最小限にとどめるべきである。


ところで心にたまる毒素のようなものを外に出す時、下痢のケースと異なるのは「他者」がどうしても必要だということである。誰か別の人がそれをちゃんと受け取らないと排泄されたことにならないのだ。なぜかというと、そもそも心というものは関係性で成り立っているからなのだけれど。

わたしは努力した。なるべく先入観を持たずに聴くこと。聴き続けること。相手から求められた時以外は「アドバイス」をしないこと。実はそれほど簡単なことではない。同じことを繰り返し聞くとイライラしたし「こうしなさい」と「指導」したくなったりした。何度もわたし自身の姿勢を正し続ける必要があった。

こうした「共感的傾聴」が基本である、とカウンセリングの本には書いてある。

しかしわたしにカウンセラーのまねごとなどできるのか?わずか数冊の一般向けの入門書しか読んだことがない、何の経験もないこのわたしに。
自分勝手で頑固でわがままなこのわたしに。
わたしはカウンセリング、特にフェミニズムカウンセリングに行くことをさとみに勧めたけれどさとみは拒否した。
わたしがやるしかないのだ。

さとみの抱えるトラウマに関連すると思われる症状はこのフラッシュバックのほかに
1.ホットフラッシュ、頭痛
2.感情の乱高下
3.自己嫌悪、自己評価の極端な低下、不安
4.いつかつださんに捨てられる、という不安
5.強い嫉妬
がある。

1.の身体症状は程なく影もなくなった。
しかしそのほかは(多分同じことが違う現れ方をしているのだと思う)何度も間隔を置いて現れた。その間隔は着実に長くなってはきたのだけれど。