I Will See You Again.
自分の余命があと三ヶ月もない事は分かっていたことだった。それを無効にする術も、ほんの少しすら延ばす術もないというのは分かっていたことだった。誰から預かったかも分からない命、その終わりがいつ来ようと不思議ではない。そんな風に自分を定義づけようとしても、最果ての底から立ち上る恐怖は抑えようがなく、ただその場に立っているだけの自分を容赦なく脅えさせた。
「死ぬのは怖い」、その事実が現実となった今が一番怖かった。
あれは春先の良い天気の日、僕は外に出て休学中の鈍った身体を奮い立たせようと思った。この季節に流れるエネルギーは限りなく正のものだ。緑に新たな命が宿り、自然という自然が爽やかに呼吸しているように感じられた。僕はその中に立って、彼らと同じように呼吸した。柔らかな太陽が僕を照らし、自信過剰なほどにこやかに笑っていた。ただ、僕はその笑顔の裏側まで見透かせなかった。
僕は陽の光を見返した。それは思った程には快い日差しではなかった。陽光が網膜を射抜いた直後、僕はその場に倒れ込んで意識を失っていた。春の叫び声が耳の奥にこだましていた事だけ覚えている。
それからの生活は完全に生気を失っていた。生きとし生けるもののそれとは到底思えなかった。朝起きて、自分が生きていることに少しホッとして、明日も同じでいられるか不安になって、寝る。ひたすらその繰り返しだった。生身の感覚を少しは取り戻したくて、死ぬまでにしておきたい事を考えたりもしたが、究極的にやっておきたい事は何一つ見当たらなかった。それよりも、自分が今までして来なかった事が一斉に頭に浮かんできて、その後悔ばかりが先に立っていた。打ち消すには多すぎる過去、今となってはどうしようもない事だらけだった。自分には変えられない。結局何も手につかないまま、僕の余命の半分くらいは無駄に流れていった。
学校では平然を装っていた。幸い外見は何も異状がなかったので、クラスの人たちとは以前と変わらず接していた。それでも勘の良いヤツはいるようで、僕が休み時間になって黙っていると、心配そうにこちらを窺っていた。ひょっとしたら、以前の僕はもっと活発で向こう見ずな性分だったのかも知れない。彼らの目線は他の人へも伝播していき、みんな表には出さないが、僕の何処かが変わってしまったという事は誰もが知るところとなっていた。変わって欲しくなかった一番最後のものさえ、運命の卑屈な糸に絡み取られていった。自分の望まない変化が僕を取り残していった。これは恨みか、いや、敗北感だ。
「ねえ、なんかあったの?」
「なにもないよ」
「…ほんとう?」
そんな目で僕を見ないで…
「なんでもないよ」
残りの日数もあっと言う間に過ぎていった。しかし、今度はいささか遅く感じられた。自分の内部で、正の方向の頼もしい変化が起きているようだった。死の瞬間が近付いてからの足掻きなどではなく、もっと自発的な何か豊かな実りだった。それにしたってもう遅いのに変わりはなかったが、それでも最後の数日間は毎日に生気が戻ってきていた。多分僕は笑っていた。
その日はいつもより寒かった。普段なら眠りこけている所を、その日は何だか朝からの一秒を無駄にしたくなかった。ニュースによると、桜の開花はもうちょっと先だった。せめてその頃までは生きていたいなあ、なんて思っていたのだが、頭の片隅ではもうそろそろなんていう気もしていた。予定の三ヶ月が来ていたのだ。別の番組では、今日は流星群なので、と言っていた。
僕は思わず奮い立った。あの春先で感じようとしていた、まさにその感覚だった。得体の知れないパワーが体中に漲っているようだった。天の思し召しとは言いたくなかったが、それでも仕組まれたような感じは否めなかった。
僕は昼間中ずっと家族と話をして、時々部屋を整理して、三年間続けた日記の最後の項に「ありがとう」と書いて、その後にすぐ、僕が死んでも卒業式にはちゃんと僕の名前を読み上げてね、と書き添えた。もうすぐ死ぬ身体とは思えない活動力だった。夕方になるまでには身の回りの片付けが終わっていた。それでもエネルギーは余っていたが、結局冥土の土産に持って行くことにした。
夜になってだいぶ冷えた。僕はそそくさと支度をして、上着を軽く身に着けた。出ていく前に、もう一度自分の部屋を確認した。きれいに片付いていた。これならいつ帰ってきても大丈夫だと思えた。玄関で履き慣れた靴を足に通す。長年の労が黒ずんで表面を覆っている。よく考えたら、普通の靴なんてこれ一足しか持ってなかった。トントンと爪先を鳴らして、家の中に一声掛けた。
「帰りは遅くなるからね」
奥から、あんまり遊んでくるんじゃないよ、と返事が返ってきた。声の調子はいつもより穏やかだった。不意に目のあたりが熱くなった。振り払うように扉を開けると、すぐさま夜の冷気が頬を刺した。
足がいつの間にか、自分をあの場所へと引っ張っていった。夜に来たことはなかったが、着いてみると星がきれいに見えた。奇妙な夜だった。愉快なくらいうるさくて、寂しいくらい静かな夜。そのどちらも僕には必要なかった。欲しいものは、世界と触れあっている儚い感覚だけだった。それさえも携えていけない。あの日、太陽が眼球を射殺してからは、世界はうすぼんやりとしていた。けれども、一つの生命として自分は今、ここに立ってはっきりと世界を、宇宙を眺めていた。
切なかった。とても切なかった。数え切れない命たちが天上から僕を見下ろしていた。これが、繰り返されてきた命だった。その一つ一つが特別の重みを持っているように感じられた。その中のたった一つ、僕はそこにいた。何億年も前に滅した僕が、こちらを見ていた。輪廻の一過程を越えて、闇の中に頼りなく輝いていた。終わりが着実に近付いて、夜は美しく燃えるようだった。
もう会えないのかな。でも、無限の遺伝子パターンの末に、もしかしたらもう一度君に巡り会えるかも知れない。星の向こうを見ながらそう思った。ありもしないことか、でも信じさせて。また君に会えたら、今度は素直になってみせるって。その時は君も、きっと僕のそばにいてくれる。
その時、留め金を外したかのように、煌々と輝く流星たちが夜空を覆った。瞬く間に夜が照らし出された。僕は流星の尻尾を掴んだ。途端に、僕の体は物凄い力で引き寄せられ、軽やかに宙を舞った。流星は猛スピードで突き進んでいた。僕はそいつらの行く先をしっかりと目に焼き付けた。眩しかった。その光が網膜に届くのをしっかりと確認して、僕は目を閉じていた。次の瞬間、体は地面に仰向けに崩れ、大地と一体になった。握られた手の中はまだ温かかった。流星の鼓動が聞こえ、そして、もう何も分からなくなった。
作品名:I Will See You Again. 作家名:T-03