池奇談(9/14編集)
草刈兜牙(くさかりとうが))は『月を喰らう池』という噂話を耳にした。かなり古い話らしい。
満月の夜に、どこからともなく水が湧き出してくる。湧水は夜ごと増えていって、新月の頃には満杯になる。そうして、次の満月までにいつの間にか枯れている……そういう池があるらしい。
「ホラーとまではいかないが、不思議な感じだろ? だから月を喰らうなどという名前がついたのだろうな。月を喰って成長して、月を吐いて死ぬ」
その噂は、兜牙が聞いた時には既に――故郷において――広範囲で知られていた。
しかし。ならばその池はどこにあるのかということになると、所在を知っている人間は一人もいなかった。誰も、実際見たことがないのだと。
「……いかにも地元の怪談という感じだろ? しかし、この噂は作り話などではないぞ。何せ、俺はこの目で見たことがあるからな」
兜牙はいつも夏の間は、山奥のサマーハウスで過ごしている。
親戚から譲り受けた、田舎にある小さな小屋だ。周りは、大きな森と長い川以外に何にもない。静かで涼しくて、いい物件だった。
そこで、見つけたのだ。その『月を喰らう池』を……。
残念ながら何年前とははっきりと覚えていないのだが……年数が曖昧になるほど昔の話になる。
ある年の、サマーハウスを使いはじめたばかりのことだった。
その晩は何だか寝付けず、遅くから近くを散歩することにした。
星が出ていないとはいえ、妙に暗い夜だった気がする。兜牙は結構夜目が利く方なのだが、それでも足元も見えないくらいだったから、小型ランプを持って小屋を出た。ランプを揺らしながらぶらぶらと歩いて森に入った。
「……いいや、別に何も物騒なことはないぞ? 何遍も一人で入ったことがある森だったから」
均した道を歩いているうちは、そうそう迷うことなどない。
木の隙間から星が見えるのが綺麗だったことを覚えている。
そしてしばらく行った先に、ふと明るい場所があることに気づいた。暗い森の中で、その辺りだけがぼぅっと光っているのだ。
何だと思って、兜牙は歩き慣れた道を逸れて其処に向かってみた。
そうしたら――あったのだ。そう。森で唯一見たことがなかった、池が。
森になるほどたくさん茂っているはずの木がそこだけなく、ぽっかりできた広い空き地の窪みに水が溜まっていた。
兜牙はすぐに判った。これが『月を喰らう池』だと……。そんな池を見たのは、その時が初めてだったから。
「通い慣れた森だ、大きな水場があれば気づかないはずがない……。それだけじゃないぞ。水面には、見事なくらい丸いな月が映っていた。その晩は真っ暗な……新月の日だったというのに」
兜牙は池の縁に立って中を覗きこんだ。
今時なかなかお目にかかれない、透明で綺麗な水だった。大して深そうでもないようだが、なぜか底を見通すことはできなかった。
ちょっとした試みを思いついた兜牙は、水面に手を差し込み、ちょうど月が映っている辺りの水を掬ってみた。
すると、掌の水の中に小さな月が映りこんでいる。
そして、池の上には――兜牙が掬った部分――欠けた歪つな月が残っていた。
はじめは水面が揺れているせいかとも思ったが、波紋が治まっても月は歪つなままだった。
掬った水を湖に零すと、月は波紋を揺らめかせながら元の丸い形に戻った。何と不思議なことがあるものだと思った。それだけだったので、大した恐怖は感じなかった。
持っていたランプを置いて両手で水を掬った。月をなるべく零さないように気をつけてそっと持ち上げる。
すると今度は月は全部掌に映っていた。そして池からは月が消えている。
兜牙は手に掬った月を映した水を――飲んだ。
「……どうしてだと? 手で掬った水など、飲む以外にどうしようもないだろ? 澄んだ水だし、結構美味しかったな。ああ、別に月の味などという特別な味はしなかったが」
「話はこれでお終いだ……大したオチがなくて申し訳ない。……ああ、月を飲んだからといって、私の躰が時おり消えたりするようになった……とか、そんなことはないからな。……見て解るだろうが、全く何ともないぞ」
「……ああ、そうだ。この話が信じられないなら、一度へ訪れるといい。今でも、同じ所にあるはずだから。道なら後で教えてやろう。
「……冒頭の噂と違っているんじゃないかだと? そんなことはないぞ。あの池は、空に吐き出すはずの月を失くしてしまって、いつまでも消えられずにいるんだ。……そういえば最近、こんな噂が出てきたらしいな」
作品名:池奇談(9/14編集) 作家名:狂言巡