山學記
序章
淡い月影が、微かに開いた窓枠を抜けて、木漏れ日のように射し込んでくる。部屋中には秋の冷風が流れ、肌寒さを覚えさせる。朝霧はそれらを気にする素振りは見せず、マンションの部屋の片隅に蹲り、佇んでいた。
窓辺には、天井からロープが吊るされていて、真下には踏み台が設置されている。ロープの先には輪が作られていて、彼の首が入るか、否かの大きさ。朝霧は立ち上がり、足場に立ってロープを掴む。汗ばんだ手で、ロープは湿る。朝霧は口を細くし、息を洩らした。
ロープを握る手は震えていて、手に伝う汗の量は、時間と共に増していた。震えは足にまで至っている。彼は徐に天井を見上げて息を吐く。そして、彼はとうとう首を輪へと入れた。あとは踏み台を退けるだけ――、彼の心ではそう呟いていた。
街の灯りは少しずつ消え始めた。朝霧の手は震えながらも、強く、強くロープを握りしめていた。時折、彼は「よしっ」と自分に言い聞かせ、首を何度も輪へと入れている。――だが彼は踏み台を退けられないでいた。
彼の表情は次第に曇っていった。唇を噛みしめ、目は澱んでいる。何でなんだよ、彼自身の逡巡に憤る。すると彼はロープを掴んでいた手を離し、踏み台に上で屹立していた。
「――何で、何で死ねねぇんだよ!」
彼は怒声を発し、踏み台から降りると、その踏み台をを壁に向かって蹴飛ばした。衝撃の音は、無音だった空間に、共鳴して響く。
彼は周囲への影響などは考えず、衝撃の音と重ね合わせるように、床を拳で叩いた。「くそっ、くそっ」そう連呼し、彼は折節涙を見せながら床を叩いた。
――頼む、死なせてくれ――