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紅い花

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紅い花


 真夏、三時を過ぎたがまだ日差しは強い。オレは自転車をゆっくりと走らせていた。大きな桜の樹や欅等が並んでいる木陰に入ると頭が涼しくなるのが解かった。そして雑草が暑がって汗を流している様な匂いから、樹木の醸し出す甘い匂いに空気が変わったのを感じた。その甘い匂いがタバコを吸いたいなあという思いに変って、樹の陰に入り自転車をとめた。その樹木に背を預けタバコを取り出し一服ゆっくりと大きく吸い込んだ。ほんわかした甘さと苦さが入り混じった幸せな感じだ。毎日の通勤で純った全身の感覚がだんだんと蘇ってきているようだった。それも二回、三回とくり返すと感覚が鈍ってくるのか、一服めの感覚には及ばなくなって、半分になったタバコを火のついたまま道路に投げ捨てた。強い太陽のせいか、それは火も煙も見えない。しばらくぼーっと会社のことなど考えていた。

 オレは一応世間では名の通った企業に勤めてはいたが、中間管理職になってからは気苦労が多く、また昇進を巡る男の嫉妬や足の引っ張り合いなどに嫌気がさしていた。ふと思い立って、妻の買い物用の自転車で近くの自然公園をサイクリングしたのは桜の咲く頃だった。思いがけない爽快感に夢中になって、少し高いが外国製の自転車を買い、以来暇があるとたびたびこの自然公園迄サイクリングする様になった。武蔵野の面影を残す雑木林と昔懐かしい小川がオレの心をクリーニングしてくれた。今迄に色々な花の咲くのを見てきた。或る日、急にいい匂いがするなあと感じ、金木犀の樹があることを改めて発見したり、毎週のように通る道で色々と見逃していることがあるのを知った。

 そして今、生きるものすべてが暑さにぐったりとしている時に、場違いに生き生きと咲き誇る花を見た。その幹のすべすベ感からその花は百日紅の花ということは解かった。うす紫色の花が樹木全体に拡がり、大きな綿菓子の様に見えた。

 その樹の向こうに真っ赤な花が咲いているのに気がついた。自転車を下りて近づいて見るとその樹もやはり百日紅だった。鮮やかと云うよりも鮮血と云う感じのその花の色は何故かオレの心を落ち着かなくさせた。自転車の所に戻ろうとしたオレは、小学高学年と思われる子供達が五、六人、私の自転車を見ているのを見つけた。鍵はかけてあるので乗り逃げされる恐れは無いものの、その辺に止めておけば持ち去られる可能性が高いだろう。妻に嫌な顔をされながらボーナスの半分を注ぎ込んだ自転車なのだ。オレが近づくと子供達は顔を見合わせながら、無言でそれぞれのマウンテンバイクに乗り、去って行った。何だ、今の子供達は。オレは自分の子供時代を振り返り、こんな場面なら眼をキラキラさせて自転車を見、持ち主を尊敬の眼で見てその姿が見えなくなる迄うっとりと見とれているのに。そう思うと、先程までのリフレッシュされた感じが消えてしまった。そしてその苛々とした気持はあの真っ赤な百日紅の花を見たときから始まったような気もしていた。

 オレは自転車にまたがり、公園内の舗装された道に入りスピードを上げて走った。蝉達の声が公園全体に響いている。大きな樹の下はひんやりとした空気で爽快だった。樹木の途切れる所で急に暑くなり、それでもあっという間に涼しい樹の下に入る。樹木の吐き出す酸素が密度の濃い空気を作っているようだ。
 だんだんといらいらした気持も落ち着いてきた。そして気がつくといつの間にかあの百日紅の木の所に戻ってきている。オレはまた心が騒ぎ出すの感じた。

 突然、オレは後頭部にゴツンという衝撃を感じてあたりを見回した。そして自転車にも何かが当たっている。
 百日紅の木の蔭から子供達が石を投げている。オレは怒り、その方へ向かおうとした。後ろから自転車の音と何語か分からない声がして、振り返った。マウンテンバイクの二人の子供が突進してくる。オレが半分ほど向き直った所に、前車輪を上げたまま突っ込んでくる一台を咄嵯に左足で蹴った。そいつは不安定な所へ下からの蹴りで背中から倒れた。
 しかし、オレが自転車に乗ろうとした時に、すぐにもう一台がオレの自転車の前輪に横からぶつかってきた。オレはたまらず自転車と共に横倒しになった。余りに突然の出来事に、痛いのも忘れ、頭がこの状態の分析をしている。目の前の自転車のスポークが二、三本外れているのが見えた。オレは痛さを感じると共に怒りが込み上げてきた。背中から転んだ奴を別の子が抱き抱え何事か祈りの文句の様なことをささやいている。何とその子は女の子だった。発育途中の胸がTシャツ越しに膨らんで見えた。もう一人が向きを変えて再び突進しようとしている。
「ア……ク」と何かを叫びながら突進してくる奴を、オレは起き上がりざまに掴んだ小石ををぶつけて横に逃げた。石は顔に命中し、そいつは急ブレーキで止った。頬から少し血が滲み出ている。その時、今度は自分の頬に痛みを感じた。周りに仲間がいなくなるのを待って石の攻撃だ。まるで訓練した様な子供達の攻撃に私は怒りから恐怖に変わった。しかし子供相手に逃げるわけにはいかない。もう中年になるが男のプライドがある。

 オレはまず石の攻撃を避けるように素早く、女の子に介抱されているやつに向かった。しかし呪文で回復したかの様にマウンテンバイクを起こして乗る所だった。オレは走って近寄り、そいつをマウンナンバイクごと蹴り倒そうとした。あと少しという所でオレは女の子に足払いをかけられ無様に顔から砂利道に倒れてしまった。両手は万歳の格好で下手糞なヘツドスライディングをした様だ。女の子を無視したのがいけなかった。そう思うまもなく、背中に衝撃を感じた。マウンテンバイクをジャンプさせて背中に飛び乗った様だ。それがどいつなのか解からなかった。オレは次の攻撃が来る前に武器になるものがないかと辺りを見回した。取り敢えずは小石しかない。後は自分の体力を利用するしかない。もしサイクリングを始める前だったら息をゼイゼイ言わせながら逃げ出していたかも知れない。まだ戦える。そう思ったら頭の回転も良くなった。石を投げているのは体力が無いせいだろう。それが二人。女が一人、これは介抱役らしい。アタック隊が二人いる。この二人をやっつけることだ。素早くそう判断した一オレは横に転がりながら林を目指した。その間にも小石が降ってくる。こんな状態でありながらスケールが違うけれど、自分がアクション映画をやっている様な気がして変な気分だった。しかし現実はかなり苦しいものだった。
作品名:紅い花 作家名:伊達梁川