くも =雲=
高田 隆平は頻繁に思うことがある。うちの妹は変わっている、と。
容姿は普通。声も普通。学力も友人関係も行動も小学2年生というレベルなら基本普通。だけどただひとつ、暇があると空を見上げていることだけは普通じゃないと思った。
ただ眺めるだけではなくてぶつぶつと何か口にしているのだ。小学5年生という多感な年頃である隆平は時々そんな妹が怖く、そして恥ずかしくなって目を逸らす。母や父に言っても「いいんだよ」と笑って取り合ってくれない。だから隆平はなるべく妹に声をかけず、可能なら近付かないようにしていた。
隆平がはじめてそんな妹に自らの意思で近付き声をかけたのは、久しぶりに会った祖母に愚痴を言った時にこう言われたから。
「梨乃はね、おばあちゃんやお父さんたちじゃ出来ないやり方で梨乃の世界を広げているんだよ」
不思議な言葉を理解出来ず、だけどどういう意味か気になった隆平は祖母にどういうことかを尋ねるが返答はなかった。気になるなら本人に訊きなさい、と言われてしまったのだ。関わりたくない、と、もちろんそう思った。けれどやはり何をしているのか気になる気持ちは止まらない。
隆平はベランダに出て空を見上げている妹・梨乃に近付く。やはり何かをぶつぶつと言っていて、思わず二の足を踏むが、意を決してそっと近付いた。そうすると耳に届くのは、意味のない言葉ではなく、取り留めのない単語群。
「犬……鳥……人の横顔……」
じっと真っ直ぐに空を見上げながらこぼすように言葉が続く。一体何か、と思いながら同様に空を見上げた隆平。空にあるのは空とそこに浮かぶ雲ばかり。鳥はありえるが犬や人の横顔などあるはずがなかった。
やっぱりやめよう、と視線を落とそうとしたその時、不意に見上げた先で人の横顔を見た気がして思わず動きを止める。
まさか、と自分の感覚が信じられずにもう一度ゆっくりと視線を上げ直した。やはり何もない。あるのは雲だけ――――。
「……あ。もしかして、雲見てるのか?」
思いついたことを思わず口に出す。すると、空を見上げていた梨乃がようやく隆平に気付いて後ろを向いてきた。久しぶりに真正面から妹の顔を見た気がして、隆平は何となく気まずくなる。だが梨乃はあまり気にした様子を見せない。
「うん。面白いよ」
あっさりと答えると、梨乃はまた空に視線を上げる。それを見て、隆平も同じように視線を上げた。梨乃は兄が興味を持ってくれたと思ったのか空――正確には雲を指差しひとつひとつ、見える形を教えていく。隆平は大人しくそれを聞き、たまに分からないと「どれ?」と聞き返した。そんな彼に梨乃は呆れずに何度も説明をする。
そんなやり取りをしながら隆平は「こんなの幼稚園児の遊びじゃないか」と内心で悪吐いた。だが一方で、ようやく祖母の言っていた意味が分かりはじめる。確かにこれは頭の固い大人には出来ないし、世界は広がっているのだろう。何せ世界を限界ない空に、そこに浮かぶ雲に押し付けているのだから。
「あれはちょうちょ!」
びしっと指先を突きつけ空に浮かぶ雲に形を与える梨乃に、隆平も空を見上げて、呟く。
「……どっちかっていうとコウモリじゃない?」
口にしてから「しまった」と内心で唱えるが、振り向いた妹にはしっかり聞こえていたらしい。驚いた顔を向けてくると、改めて空を見上げた。そして頬を膨らませながらまた振り向いてくる。
「……そーだね」
「何だよその不満そうな顔は」
「だってりゅーくんいつもやらないのに梨乃より当てるんだもん」
「そんなことで怒んなよ」
「怒ってないもん」
「あっそ。……じゃああれは?」
話を逸らして空を指差す。そんなやり取りを数回繰り返して梨乃の機嫌が直してから隆平は家の中へと戻っていった。
「隆平、楽しかった?」
祖母が和室から声をかけてくる。隆平はそちらに目を向けてからしばらく沈黙し、そしてぷいと顔をそらした。
「別に。あんなの子供の遊びだし」
予想外なのか予想通りなのか、祖母はいつも通りに笑って「そう」と返してお茶をすする。
「…………でも梨乃が楽しむのはいいんじゃない。あいつガキだし」
そう言うと、恥ずかしくなったのか隆平は少し顔を赤くして自分の部屋へ駆け出した。それを座ったまま
見送ってから、祖母はもう一度、今度は笑って「そう」と返す。