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フレンズ

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フレンズ




 こんなのは強姦とすら呼べない。ただの殴り合いか、もっと格好付けて言うのであれば決闘だ。ロープはなし。審判もいない。ベッドの上で行われる一対一のタイマン勝負。決着が付くのは相手がダウンした時。幸次郎が俺をベッドから蹴り落とした時か、俺が幸次郎の中に突っ込んで内臓を滅茶苦茶に掻き回して、腹いっぱいに精液を飲ませてやった時だ。

 そんな妄想を脳裏に過ぎらせながら、聡史は組み敷かれている幸次郎の鼻に拳を叩き下ろした。軟いのか硬いのかよく分からないぐにゃりとした骨の感触を拳に感じながら、幸次郎の鼻が潰れる様を見下ろす。

 幸次郎が鼻血を垂れ流し、半狂乱になった鳥のような奇声をあげて、痛みに喚く。叫び声の合間合間に「畜生」だとか「手前、ブッ殺す!」だとか、様々な下品な言葉が聞こえてくる。

 聡史は幸次郎が呻いている隙に、一糸纏わぬ幸次郎の皮膚に、鼻血がこびり付いた掌を這わせた。幸次郎の股間の萎えしぼんだモノに触れた瞬間、思わず聡史は笑ってしまった。ガチガチに勃ちあがった自身のモノを幸次郎のソレに意味深に擦り付ければ、一瞬、幸次郎が息を呑んだ。甲高い怒声が一気に萎んで、聡史を憎憎しげに見上げる。


 「汚ぇもん押し付けてくんじゃねぇよ」
 「その汚ぇもんが今から手前のケツに突っ込まれんだよ」


 憎まれ口に冷笑と嘲りを返せば、途端、鳩尾にドスンと重たいものでも落とされたかのような鈍い衝撃が走った。呻いて、咄嗟に幸次郎の肉付きの薄い頬を殴り飛ばす。鼻血を撒き散らしながらベッドに横っ面を埋めた幸次郎を横目に、苦痛に涎を垂らして鳩尾を見遣る。そこには、赤々とした拳の跡が残っていた。暫くすれば、この鮮やかな赤はどす黒い紫色に変色するだろう。それを思えば、忌々しさが皮膚の下から熱の如く湧き上がって来た。


 「そもそも、誘って来たのは手前の方だろうが」


 「クソッタレが」と吐き捨てながら、幸次郎の髪の毛を鷲掴んで、顔を上げさせる。幾度も殴られ、腫れ上がった幸次郎の顔面は鼻血で赤く汚れていた。唇まで流れてくる鼻血を手の甲でぞんざいに拭いながら、幸次郎は酷く小憎たらしい表情で哂った。


 「男から誘われて本気にするアホがいるかよ」


 その嘲笑に脳味噌が一気に沸騰した。指の先端まで怒りが充血して、瞼の裏が真っ赤に染まった。

 可笑しいとは思ったさ。性質の悪い冗談かと疑いもしたさ。真夜中の二時に突然携帯の着信が鳴って、「今すぐ俺の部屋に来い」だなんて傲慢な台詞に苛立ちもした。こちとら付き合って二ヶ月の彼女とそろそろフィニッシュを迎えようとしていた所で、「ふざけんじゃねぇ、地獄に落ちろクソが!」だなんて怒鳴り散らしてやろうかとすら思った。それなのに、どうして彼女とのフィニッシュを捨ててまで俺が此処に居るのか、御前に分かるか? 居心地のいい柔らかい膣から抜き出して、手前の汚い尻穴に突っ込もうとしているのか、御前に分かるか? ベッドに体育座りになって、捨てられた犬のような瞳をした御前に「聡史、セックスしようぜ」なんて言われた時、俺がどういう気持ちになったのか分かるのか!?

 気付いた時には、幸次郎の顔面はボロボロのボコボコ。唇まで腫れ上がって、見れたもんじゃない。半分しか開いていない瞼の隙間から、幸次郎が相変わらず醒めた眼差しで此方を見上げていた。


 「―――な゛んで、おま゛え゛が泣ぐ」


 腫れた頬をぎこちなく動かして、幸次郎が濁音だらけの言葉を紡ぐ。その掌がのろのろと頬に触れてくる。気付けば、頬がしたたかに濡れて、目の前がぼやけていた。ぽつぽつと透明な粒が幸次郎の顔に滴り落ちている。傷に沁みるのか、幸次郎が顔を顰めていた。


 「御前、何がしたいんだよ。何で、こんな下んねぇ冗談とか言うんだよ。俺が、こんなグズグズになってる姿が見たかったのか。今日はエイプリルフールでもねぇのに、何でだよ。何で。畜生、何でだよ」


 責め立てたいのに声が掠れる。鼻声になってしゃくり上げそうになる。空しさに胸を潰されそうになりながら、幸次郎の胸に額を押し付けた。欠片でもいいから、この痛みを幸次郎に押し付けてやりたかった。

 幸次郎の指先が手持ち無沙汰に耳朶を擽ってくる。


 「……さどじ、おまえ゛はお゛れ゛のダチ、じゃない゛のか? お゛れのごと、す゛きなの゛か…?」


 幸次郎がまた捨てられた犬のような瞳をして、此方を見ていた。それから、くしゃりと泣き出しそうに顔を歪めた。


 「なん゛で、バカ野郎がって言わ゛ねぇん゛だよ゛。な゛んで、下んね゛ぇ冗談言う゛な゛って言わ゛ねぇん゛だよ。なん゛で、誘われ゛る゛まんま゛にセックスしよ゛う゛とすん゛だよ。ダチだろう゛が、俺ら゛。ちがう゛か? おれ゛ら、ダチだろ゛うが。幼稚園ときがら゛、ずっと一緒だったじゃね゛ぇか。な゛の゛に、なん゛で、いま゛さら゛セックスできんだよ。なんで、ダチなのに、セックスしよ゛う゛とすんだよ゛」


 訴えかけるように幸次郎が捲くし立てる。その瞳からぽろりと涙が零れ落ちるのを見て、嗚呼と思った。嗚呼、嗚呼、嗚呼、酷い。こんなのは余りにも酷い。


 「御前、俺を試したのか」


 呆然とした自分の声が聞こえた。


 「お゛、おま゛え゛、が、ほんとはゲイで、お゛れの゛ごと狙っでるって、話、聞いで、お゛、おれ゛、ヤでさ、だって、サトシは、おれ゛のダチなのに゛、んな゛ごと言わ゛れ゛て、すげぇ、ヤでさ」


 啜り泣きながら、事の顛末を語る幸次郎の声に、一気に血の気が引いた。指先から冷たくなって、体内が凍え付く。

 幸次郎はわざと誘いをかけて、俺が引っ掛かるかどうかを試したのだ。引っ掛からなければ俺と幸次郎はダチ、引っ掛かればダチじゃない。俺はまんまと引っ掛かった。当然だ。ずっと夢見てきたことが叶ったのかと、棚からボタ餅だと有頂天になった。

 それでも、幸次郎はギリギリまで耐えたのだろう。ダチだと信じていた男に押し倒され、服を剥かれて、皮膚を撫で回されて、込み上げて来る嫌悪に必死で耐えた。だけど、口腔に舌を突っ込まれながら性器に弄られた瞬間、幸次郎は親友が冗談ではなく本気で自分を抱こうとしていることに気付いたのだろう。だから、暴れた。殴り、蹴り、四肢を振り乱して喚いた。

 幸次郎の落胆や絶望を思うと、胸が締め付けられる。だが、今傷付いているのは幸次郎だけじゃない。俺だって傷付いている。罠に嵌った自分、長年の隠してきた恋心がいとも簡単に破綻して、バラバラに崩れていく感覚。

 両手で胸を押さえて、必死で呼吸を繰り返す。引き裂かれそうだ。


 「お゛れ゛のこと、すきな゛のか?」


 怯えたように尋ねる幸次郎の声に、何度だって引き裂かれる。魂が罅割れて、曖昧だけど永久不滅だと思っていた恋心が木っ端微塵に壊れていく。


 「すき、だ」


 絶望的な自分の声が鼓膜にしんと響いた。一生言うことはないと思っていた言葉が、吐き出されて、空中で儚く四散していく。恋心がシャボン玉のように、ぱちんと音を立てて弾けた。


 「忘れろ」


 幸次郎の胸に唇を押し付けて、呪文のように唱える。言葉を吸い込むように、幸次郎の胸が大きく上下した。
作品名:フレンズ 作家名:耳子