天つみ空に・其の五~白妙菊の約束~
白妙菊(しろたえぎく)―葉が白い毛で覆われていて、黄色い菊のような花が咲く。夏から秋にかけて咲くが、何故か一月三十一日の誕生花の一つで、花言葉は【あなたを支える】。
《其の壱》
吉原では、妓楼毎に出入りの女衒が決まっている。半籬の〝花乃屋〟には多治郎という三十ほどの男が数年前から出入りしていた。多治郎は年に数度、花乃屋にやって来る。その前にあらかじめ江戸近在の貧しい農村を回り、年頃の娘たちを集めた上で江戸を訪れるのだ。
ここ二、三年、江戸の夏は、これまでにない猛暑続きであった。雨らしい雨が殆ど降らず、連日の日照りはまず、農作物に深刻な影響を与えた。例年ならば、秋風が吹く頃には田には黄金(きん)色の穂がそよぐ光景が見られるのに、いっかな見ることができない。米だけでなく、その他の収穫の方もさっぱりで、田畑は実りの瞬間(とき)を迎えることなく荒れ地のようになり果てた。
ろくな収穫もないままに厳しい冬を迎え、体力のない老人や幼児は冬の寒さを乗り越えられず、次々に力尽きて倒れてゆく。それでも若い男は家の重要な働き手として必要とされたが、女は力仕事も叶わず、殊に幼い少女や年若い娘は何の役にも立たない。
親たちは涙を呑んで我が娘を女衒に売った。花乃屋にその日、連れてこられた少女たちも大方は、そんな哀しい運命(さだめ)を背負った少女たちであったのである。
花乃屋に多治郎が姿を見せたのは、その年の弥生もそろそろ半ばを迎えようとしていた頃であった。この月の初め、花乃屋でお職を張っていた稼ぎ頭の花魁松風が落籍(ひか)されて出ていっている。
吉原の女ならば誰もが憧れる玉の輿―東両国の両替商三船屋新左衛門の妻として迎えられたのだ。松風は二十二歳、十八で花魁となって以来、花乃屋の稼ぎ頭であった。花乃屋の主人甚佐は、この秘蔵っ子の抜けた穴を一日も早く埋めるべく、やり手のおしがに新しい禿を入れるように指図している。
多治郎が訪れた時、生憎、甚佐は留守であった。常ならば多治郎は二、三日は江戸に滞在してゆくのだけれど、今回ばかりは、その脚で北陸まで出向かねばならぬとかで早々に暇乞いをした。
大方は北陸の貧しい村々を回り、娘たちを集めるに相違ない。気候のせいか、北陸出身の娘は皆、色が抜けるように白く肌理が細やかだ。おまけに、辛抱強い気質を持っていることから、どの妓楼でも北陸から来た娘は歓迎された。〝亡八〟と呼ばれる妓楼の主も因果な商売だが、その楼主に娘たちを引き渡す女衒もまた、似たようなものかもしれない。
甚佐が仲之町から戻った時、既に多治郎は帰った後であった。廓の中の采配は大抵はやり手のおしがに一任されてはいるものの、新しく禿を入れるとなると、やはり楼主の意見を訊かねばならない。
何しろ、その新しく入れた少女がやがては見世の看板を背負って立つような売れっ妓にならないとも限らない。このような場面では、やり手の一存だけで決められるものではなく、長年、楼主として多くの女たちを見てきた甚佐の勘が大いに必要とされるのだ。
だが、この日は幾らおしがが引き止めても、多治郎は甚佐の帰りを待たず帰ってしまった。おしがはやむなく多治郎が連れてきた娘たちの中から二人を買い取った。おゆきといってその名のとおり色白の大人しげな少女は十一、おろくという、これは美しいけれど少々勝ち気に見える少女は十であった。
出先から夕刻、戻ってきた甚佐はおしがから一切の報告を受けた後、早速、新たに入ってきた少女たちを検分した。おゆきの方は平凡な容貌ではあるが、気性が素直そうなところが良い。男は存外、こんな一緒にいて安らげるような類(たぐい)の女を好むものなのだと、甚佐は長年培った勘で知っている。
今一人のおろくという少女、これには文句のつけようがなかった。すべらかな白い膚に凛と張った眼許は少し切れ上がっていて、言うことなしの美少女だ。大きな双眸は女にしてはいささか負けん気が強すぎる気性を表しすぎているようにも思えるが、これは今後の教え方次第で、どうにでもなるだろうし、もし、この娘が見かけどおりの聡い質(たち)ならば、男の前ではどのようにふるまえば効果的かとはすぐに学ぶだろう。
二人の少女を引見した後、甚佐は一階の入り口近くにある楼主部屋でいつものように煙草を吸いながら、思案に耽った。甚佐の頭に浮かんでいるのは、去年の秋からこの見世に奉公するようになった下女の貌である。炭団を彷彿とさせる浅黒い顔で、身体つきといえば胸乳も腰回りもおよそふくよかさには縁遠い。
要するに、女としては全く魅力に欠けており、どんな女にも良いところ、伸ばしてやれるところはあると信じている甚佐でさえ、これは使い物にならないと見切りをつけそうになったほどであった。
ところが、である。このお逸という娘、よくよく見れば、意外に整った眼鼻立ちをしている。眼許だって、新入りのおろくに劣らぬ―いや、それ以上に形も良いだろう。お逸はまだ十六、女としての成長途上の段階であり、女体が整うのは、その成長を待てば良いだけの話かもしれない。
何より、このお逸に、甚佐はしきりに引っかかりを憶えてならないのだ。それが何なのかと問われれば、今はまだはきとは応えられない。しかし、二十年余りもの間、女郎屋の主人として見世を切り盛りしてきた亡八の勘が何かを告げていることだけは判る。
そして、その〝何か〟は、徐々にではあるが、次第に明確な形を取り始めてきている。おしがは長年女郎を勤めただけあって、おろくという少女に眼を付けたのは流石だ。現に、たった今も、そのことについては、おしがに労をねぎらってやったばかりだ。
が、いかに、おろくがゆく末は松風のようなお職を張る花魁になり得るとしても、だ。その成長までには、どう見てもまだ五、六年は待たねばならない。
甚佐は珍しく焦りを憶えているのだ。松風がいなくなった今、花乃屋の花魁はたった一人、松風が全盛を誇っていた時代は二番手を務めていた東雲である。東雲は確かに派手やかな美貌を誇り、贔屓の客も多いが、権高で少々我が儘なところがあり、万人受けする妓ではない。
その点、松風は一見大人しやかで淋しげにさえ見える愁い顔の美人であったけれど、常に控えめで素直な気性がどんな客からも好まれたものだ。東雲のような勝ち気な女は一時の気晴らしの相手にはなっても、長く一緒にいると気疲れしてしまう。
松風は女房にしても申し分ないと思えるほど、万事に控えめでいて、それでいて、気遣いのできる女であった。松風を身請けし、後妻に入れた三船屋新左衛門は商人として凄腕なだけではなく、女を見る眼も確かであったと言わざるを得まい。
あれほどの名妓になり得る素質と器量を備えた女となれば、このお江戸広しといえども、そうそうは見つけられないのは道理である。最近、松風のことを思い出した後、どういうわけか、あのお逸―廓内の皆から〝たどん〟と蔑みを込めて呼ばれている娘―の色黒の貌がふっと浮かんでくる。
《其の壱》
吉原では、妓楼毎に出入りの女衒が決まっている。半籬の〝花乃屋〟には多治郎という三十ほどの男が数年前から出入りしていた。多治郎は年に数度、花乃屋にやって来る。その前にあらかじめ江戸近在の貧しい農村を回り、年頃の娘たちを集めた上で江戸を訪れるのだ。
ここ二、三年、江戸の夏は、これまでにない猛暑続きであった。雨らしい雨が殆ど降らず、連日の日照りはまず、農作物に深刻な影響を与えた。例年ならば、秋風が吹く頃には田には黄金(きん)色の穂がそよぐ光景が見られるのに、いっかな見ることができない。米だけでなく、その他の収穫の方もさっぱりで、田畑は実りの瞬間(とき)を迎えることなく荒れ地のようになり果てた。
ろくな収穫もないままに厳しい冬を迎え、体力のない老人や幼児は冬の寒さを乗り越えられず、次々に力尽きて倒れてゆく。それでも若い男は家の重要な働き手として必要とされたが、女は力仕事も叶わず、殊に幼い少女や年若い娘は何の役にも立たない。
親たちは涙を呑んで我が娘を女衒に売った。花乃屋にその日、連れてこられた少女たちも大方は、そんな哀しい運命(さだめ)を背負った少女たちであったのである。
花乃屋に多治郎が姿を見せたのは、その年の弥生もそろそろ半ばを迎えようとしていた頃であった。この月の初め、花乃屋でお職を張っていた稼ぎ頭の花魁松風が落籍(ひか)されて出ていっている。
吉原の女ならば誰もが憧れる玉の輿―東両国の両替商三船屋新左衛門の妻として迎えられたのだ。松風は二十二歳、十八で花魁となって以来、花乃屋の稼ぎ頭であった。花乃屋の主人甚佐は、この秘蔵っ子の抜けた穴を一日も早く埋めるべく、やり手のおしがに新しい禿を入れるように指図している。
多治郎が訪れた時、生憎、甚佐は留守であった。常ならば多治郎は二、三日は江戸に滞在してゆくのだけれど、今回ばかりは、その脚で北陸まで出向かねばならぬとかで早々に暇乞いをした。
大方は北陸の貧しい村々を回り、娘たちを集めるに相違ない。気候のせいか、北陸出身の娘は皆、色が抜けるように白く肌理が細やかだ。おまけに、辛抱強い気質を持っていることから、どの妓楼でも北陸から来た娘は歓迎された。〝亡八〟と呼ばれる妓楼の主も因果な商売だが、その楼主に娘たちを引き渡す女衒もまた、似たようなものかもしれない。
甚佐が仲之町から戻った時、既に多治郎は帰った後であった。廓の中の采配は大抵はやり手のおしがに一任されてはいるものの、新しく禿を入れるとなると、やはり楼主の意見を訊かねばならない。
何しろ、その新しく入れた少女がやがては見世の看板を背負って立つような売れっ妓にならないとも限らない。このような場面では、やり手の一存だけで決められるものではなく、長年、楼主として多くの女たちを見てきた甚佐の勘が大いに必要とされるのだ。
だが、この日は幾らおしがが引き止めても、多治郎は甚佐の帰りを待たず帰ってしまった。おしがはやむなく多治郎が連れてきた娘たちの中から二人を買い取った。おゆきといってその名のとおり色白の大人しげな少女は十一、おろくという、これは美しいけれど少々勝ち気に見える少女は十であった。
出先から夕刻、戻ってきた甚佐はおしがから一切の報告を受けた後、早速、新たに入ってきた少女たちを検分した。おゆきの方は平凡な容貌ではあるが、気性が素直そうなところが良い。男は存外、こんな一緒にいて安らげるような類(たぐい)の女を好むものなのだと、甚佐は長年培った勘で知っている。
今一人のおろくという少女、これには文句のつけようがなかった。すべらかな白い膚に凛と張った眼許は少し切れ上がっていて、言うことなしの美少女だ。大きな双眸は女にしてはいささか負けん気が強すぎる気性を表しすぎているようにも思えるが、これは今後の教え方次第で、どうにでもなるだろうし、もし、この娘が見かけどおりの聡い質(たち)ならば、男の前ではどのようにふるまえば効果的かとはすぐに学ぶだろう。
二人の少女を引見した後、甚佐は一階の入り口近くにある楼主部屋でいつものように煙草を吸いながら、思案に耽った。甚佐の頭に浮かんでいるのは、去年の秋からこの見世に奉公するようになった下女の貌である。炭団を彷彿とさせる浅黒い顔で、身体つきといえば胸乳も腰回りもおよそふくよかさには縁遠い。
要するに、女としては全く魅力に欠けており、どんな女にも良いところ、伸ばしてやれるところはあると信じている甚佐でさえ、これは使い物にならないと見切りをつけそうになったほどであった。
ところが、である。このお逸という娘、よくよく見れば、意外に整った眼鼻立ちをしている。眼許だって、新入りのおろくに劣らぬ―いや、それ以上に形も良いだろう。お逸はまだ十六、女としての成長途上の段階であり、女体が整うのは、その成長を待てば良いだけの話かもしれない。
何より、このお逸に、甚佐はしきりに引っかかりを憶えてならないのだ。それが何なのかと問われれば、今はまだはきとは応えられない。しかし、二十年余りもの間、女郎屋の主人として見世を切り盛りしてきた亡八の勘が何かを告げていることだけは判る。
そして、その〝何か〟は、徐々にではあるが、次第に明確な形を取り始めてきている。おしがは長年女郎を勤めただけあって、おろくという少女に眼を付けたのは流石だ。現に、たった今も、そのことについては、おしがに労をねぎらってやったばかりだ。
が、いかに、おろくがゆく末は松風のようなお職を張る花魁になり得るとしても、だ。その成長までには、どう見てもまだ五、六年は待たねばならない。
甚佐は珍しく焦りを憶えているのだ。松風がいなくなった今、花乃屋の花魁はたった一人、松風が全盛を誇っていた時代は二番手を務めていた東雲である。東雲は確かに派手やかな美貌を誇り、贔屓の客も多いが、権高で少々我が儘なところがあり、万人受けする妓ではない。
その点、松風は一見大人しやかで淋しげにさえ見える愁い顔の美人であったけれど、常に控えめで素直な気性がどんな客からも好まれたものだ。東雲のような勝ち気な女は一時の気晴らしの相手にはなっても、長く一緒にいると気疲れしてしまう。
松風は女房にしても申し分ないと思えるほど、万事に控えめでいて、それでいて、気遣いのできる女であった。松風を身請けし、後妻に入れた三船屋新左衛門は商人として凄腕なだけではなく、女を見る眼も確かであったと言わざるを得まい。
あれほどの名妓になり得る素質と器量を備えた女となれば、このお江戸広しといえども、そうそうは見つけられないのは道理である。最近、松風のことを思い出した後、どういうわけか、あのお逸―廓内の皆から〝たどん〟と蔑みを込めて呼ばれている娘―の色黒の貌がふっと浮かんでくる。
作品名:天つみ空に・其の五~白妙菊の約束~ 作家名:東 めぐみ