男の飾り
金持ちは本来、無口で人づき合いが悪いものだ。かの有名なアメリカのメロン財閥の創始者など、「口を開けば喋らざるを得ない。喋れば親しくなる。親しくなれば友になる。友人関係を維持するためには金がかかる」といってまるで唖のように人生送ったそうである。
古い街並みが美しい金沢で、金貸し業を営む本多欣一はメロン財閥の創始者と違って実によく喋る。眼よりも口が開くのが早いかといわれている。昼夜問わず喋りまくる。が、この男はたた単なるお喋りじゃない。それなら井戸端会議に励む街のおばさん達と何ら変わりない。この男は喋りながら、そこから金儲けの匂いを嗅ぎ取る。彼は先代から引き継いだ金貸し業の他に、彼は傾きかけた会社を次々と買収した。そして、その巧みな話術で政治家や銀行家と親しくなり、彼らの力をうまく利用して傾いた会社を見事に立て直した。
精力的な話し方は、若い女性をも引きつけた。その結果、孫ほど年が離れた美しい若い美奈子の心を射止め娶ることになった。
美奈子は旧家である秋山家の娘である。彼女の父が営む会社が倒産してした際、助け船を出したのが本多である。本多は会社を買収したが、その当主を追い出すことはしなかった。そこがまず美奈子の印象を良くした。当時、美奈子は結婚生活に破れて実家に戻っていた。それから六年が過ぎていた。本人はあまり再婚する気などなかったが、その一方で、独身を通すのも寂しいと思っていた。微妙に揺れる女心に、本多の話術がものの見事に入り込み鷲掴みにしたのである。
「女は男よりずっと想像力が豊かだ。女の心を掴むのは顔じゃない。金と話術だ。金は現実の女の物欲を満たし、話術は女の気まぐれな好奇心を満たすのだ」というのが本多欣一の持論である。
本多の家は川辺に面した古い武家屋敷であった。敷地は優に三百坪はあった。その家に、ずっと昔からいるお手伝いと欣一と美奈子の三人が春より住むこととなった。
一番早く起きるのは、お手伝いである。夜明けと同時に目覚める。美奈子はこのお手伝いと余り口を利いたことはない。いつもぶすっとして、必要なこと以外に口を利かないからだ。とにかく空気に近い存在であった。
美奈子にとって信じられないことだが、欣一はテレビを見ないし、見早寝早起きして、七時前には家を出るのが常だった。時計が八時を回る頃にようやく美奈子は目覚めるのであるが、その頃はもう広い家がしんと静まり返っている。
「欣一さんはどうしたの?」と嫁いだ始めの頃はよくお手伝いさんに聞いた。
「仕事に出られました」という決まり切った回答が返ってくるのみであった。
本多は大学こそ出ていないが、代わりに下手な大卒よりもたくさんの本を読んでいた。美奈子が分からないことを聞くと、彼はすかさず答えた。
「キンさんは何でも知っていますのね」と美奈子は言って笑う。
すると、「女を世話するのも、会社を立て直すのも一緒や。どちらも手を抜いたらあかん」と本多は答えた。
家を修理することになった。若い大工が出入りするようになった。力強く、まるで岩のような筋肉を持っていた。美奈子は彼を想像するようになった。荒々しい野性馬のような一寸の無駄のない男が抱く女はどういった女かと。危険な想像だと美奈子は自分でも気付いたが、それが返って一層、彼への思いを高める結果となった。
ある日、お嬢さんと声をかけられた。返答に窮した。さらに声がした。その声に吸い込まれていった。
数か月後、大工と美奈子は駆け落ちをした。欣一は追いかけるようなみっともない真似はしなかった。
理由を聞かれたとき、「男の飾りが役に立たなくなってしまったら、おしまいなんだ。女が逃げても責められない」とぽつりと寂しそうに呟いた。
それからであろう、妙に老いを感じさせるようになったのは。かつての精力的な話し方は影をひそめ黙り込むようになった。