永遠の音楽
(三)
勤労動員や慰問に明け暮れ、少ない授業時間の中で始まった学校生活であったが、尚さんと再会し、信乃さん、容子さんと知り合って、不自由なりに青春を謳歌していたと思う。暗く辛い時代だった。それでも私の人生の中で、結果的に一番、輝いていた日々でもあった。
しかしそれは長続きしなかった。
昭和十七年から悪化の兆しを見せ始めた戦況によって、徴兵年齢は都度都度に引き下げられて行く。いつ大学生や高等専門学校生の徴兵延期措置が撤廃されてもおかしくないと、学生達の間には不安が広がっていた。
そして昭和十八年十月二日、ついに在学徴集延期臨時特例が公布される。理工系と教員養成系を除く文科系の、満二十才を迎えている在学生の徴兵が決まったのだった。
私はそのことを、尚さんによって知ることになる。
その日、私達はいつも通り、練習場としている校内の一室に集まって、慰問用に新しい曲を練習していた。尚さんは遅れて来たが普段と変わりなく、冗談を言いながら淡々と練習をこなした。四人とも特例公布のことは知っていた。しかし誰もそれに触れなかった。みなまだ満二十才に達していなかったせいもある。否、正しくは達していないと思っていたのである。
秋の早い夕暮れが迫っていた。橙色の夕日が、かかった雲を染めて、何とも物悲しく感じたことを覚えている。
「休学することになったよ」
ヴァイオリンを片しながら、尚さんは言った。
「休学?」
容子さんと私は、ほぼ同時に聞き返した。
「徴兵検査を受けることになったんだ」
「徴兵検査?!」
私が驚いて飛び上がらんばかりに急いて言うと、尚さんは少し笑って頷いた。
容子さんは口を半開きにして、立ちすくんでいた。信乃さんは尚さんが練習に遅れてやってきた時からずっと黙ったままだったから、気づいていたのかも知れない。少なくとも、尚さんがすでに五月に誕生日を迎えて二十才になっていた事は。
暗い沈黙が斜陽と共に部屋に満ちた。「いつ?」と信乃さんが口火を切る。
「二十一日に神宮で壮行会がある。その後に徴兵検査があって、問題がなければ入隊は十二月らしい」
「そんなに早く?」
言葉を失っていた容子さんがやっと口を開く。彼女の言う通り、すでに十月も半ばを超えていた。多分、在学徴集延期臨時特例の公布直後くらいには、尚さんには召集の連絡が来ていたことだろう。彼はそんな素振りを少しも見せなかった。見せずに学校生活を送っていたのだ。
「なぜ、もっと早く話してくれなかったんだ、尚さん!」
「話せば、意識するだろう? 純粋に音楽だけに没頭出来ない。ここにそんな空気を持ち込みたくなかった」
事実、話を聞いた途端に私の気持ちは重苦しく沈んだ。その感情が別れの日まで、澱となってずっと残ったに違いない。どんなに音楽に縋って集中しても、沈んだ澱は何かの拍子に浮上する。それがわかっていたから、ギリギリまで普段と変わらず過ごし、話す時は別れの日と決めていたことが、尚さんの清清しい表情からうかがえた。
壮行会から徴兵検査を経て十二月の入隊までの一ヶ月余りなど、別れや準備で「あっ」と言う間に過ぎるだろう。尚さんは某財閥の枝葉に連なる出だった。「末端の家の不肖の息子だ」と常日頃自分のことを評していた彼だが、それでも徴兵されるとなると挨拶に回る場所は多いはずだ。
「学校に来るのは?」
私は恐る恐る尋ねた。
「こうやって練習をするのは、多分、今日で最後になる」
「最後じゃないわ。休学でしょう? 戦争が終われば、また一緒に出来る!」
私が言いたかったことは、容子さんが代弁した。尚さんは、「そうだな」と言った。
「今日で最後」と言う言葉が、私の胸に刺さった。尚さんのヴァイオリンに憧れ、ずっと彼の伴奏をすることを目標にしてきた。一緒に音楽を学びたいと努力した。音楽学校に入って半年、それはまだ憧れた夢のままだ。尚さんは、私に伴奏することを許さなかった。許さないまま、戦地に赴こうとしている。
「尚さん、僕のピアノと合わせてくれないか? しばらく会えなくなるんだから」
私はおそらく必死の形相をしていたに違いない。心のどこかで、これで尚さんに会えるのは最後になるかも言う気持ちがあった。危うくそれを口にして合奏を懇願しそうになるのを辛うじて抑えたものの、表情を取り繕う余裕はなかった。
戦争がどんどん深みにはまっているのを知っていた。大本営の威勢の良い発表は鵜呑みには出来ないところまできている。日本は明らかに不利だと感じていた。徴兵年齢が下がって行くのが証拠だ。生きて戻る保障はないのだから。
断らないでくれと心の中で念じていた私に、尚さんは「タイスで良いか?」と静かに聞いた。
タイスとはマスネー作曲の歌劇『タイス』で、尚さんが言うのは第2幕第1場と第2場の間に演奏される間奏曲ことである。『タイスの瞑想曲』として知られるヴァイオリンの名曲だった。甘く美しい、題名通り静かな曲調は、音楽塾の時、尚さんは苦手としていた。「繊細さが足りない」と叱られたのは、この曲が最初ではなかったか。
彼が鞄の中から取り出した楽譜を手渡された。楽譜は黄変して古びていた。開くと少年の字で書き込みがされている。
「昔、よく叱られていたよね?」
懐かしく思い出して、私は呟く。
「俺のお守りだ。初心、忘るべからずのな。弾けるか?」
「弾けるよ」
私はピアノの前に座った。
ヴァイオリンの師匠は、この曲を奏でる尚さんのヴァイオリンを良しとはしなかったが、私はその音色に惹きつけられた。確かに繊細さには欠けていたろう。しかし、その曲が流れる場面の、修道士が娼婦を改悛させる力強い意思を音色から感じた。俗世から崇高な世界に導く、正しい言葉を聞いているように思えた。
あの時の印象のままに前奏のアルペジオ(分散和音)を弾いたが、ヴァイオリンは入ってこなかった。
「あのな、鼎。あれから俺は少しばかり成長していると思うんだが」
そう言って苦笑し、「もう一度」と促した。
私は大きく深呼吸し、逸る気持ちを抑えた。それからあらためてアンダンテ・レリジオーソ(緩やかな速度で厳かに)とドルチェ(柔らか、甘く)を意識し、指を鍵盤に落とす。
尚さんのヴァイオリンが入ってきた。
柔らかく、それでいて艶やかな音色。
音楽塾の頃の尚さんは大胆で劇的な曲が得意だった。今でも慰問などで聴く彼の音色は、たとえ重奏の中にあっても存在感を示した。暗い時代の気を払拭するがごとく、明るい未来を手繰り寄せるがごとく。それが、こんなに繊細で切ない音色を紡ぎだすのか、フォルテの力強さがこんなに伸びやかに温かく響くのかと私の指は震え、それは全身に広がった。
目頭が熱くなる。音色の美しさと、しばらく、あるいは、二度と尚さんと合わせることが出来ないかも知れないと言う感慨に、次第に視界は揺れ、譜面が波打った。
――だめだ、しっかりしろ。
今にも零れ落ちそうな涙を何とか目の内に留め、我慢した。意識を演奏に集中させ、一音も聞き漏らすまいと、純粋に耳に入る音色を追った。