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博覧強記

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5月21日(月)

<10:00>
「奥様、私どもはいわゆる便利屋で、カウンセリングの専門家ではありませんが」
「承知してますわ。お噂を聞いてご相談してるのよ」
 西向きのリビングルーム。内装は白と明るい木目が半々。花と絵の赤い差し色。小奇麗に整頓されている。二十三区の外れのマンション。十階。はるか遠くの山から角ばった風が吹き込む。便利屋と教授の妻は三人掛けのソファに並んで座っている。
 妻の説明によれば、大学教授が『日本近海の全てのカニは無毒だ』との説を発表したのだが、根拠ない中傷で市場が混乱しているらしい。カニ毒などという迷信が未だに信じられているとはバカげている。妻は便利屋の横顔に向けて丁寧に説明していく。便利屋は漏らさず相槌を打つ。話を横耳に聞きながらコーヒーテーブルに山積みにされた雑誌やらコピー用紙やら、大学教授のメディア取材歴と称するものに目を通した。
『漁民が科学的知見なぞ持つわけがない。流通業者は売った者勝ちとしか考えない。いまやいちばん力を持つ小売業界は産地を誤魔化すためにあらゆる圧力をかけるのだ…』
『最悪なのは一般消費者だ。カニ毒なぞ科学的には全くナンセンスなのである…』
 ブログのコピーが山の上に乗っていた。無神経なレイアウト。断定的な論調。いかにも大学教授らしい。便利屋は紙の束を手にとり行を追った。
 大学教授の主張を要約すると次の通りである。
 彼がカニ毒の非存在を証明した直後より、一般に毒性が強いとされてきた「エチゼントゲトゲガニ」、太平洋岸で見つかった新種「エダエダカンカンガニ」が流通し始めた。どちらも甘くて身が多く、近海で大量に獲れる。食に関する身近な話題だったこともあり、その後も彼の説は様々なメディアに取り上げられた。結果、漁民はさらに獲りまくり、流通業者はさらに売りまくった。毒物扱いされてきたカニの流通は急拡大したという。
「実際にはエチゼントゲトゲガニは甲羅と脚に無数に生えた棘に毒が含まれるだけであって、身は美味しく食べられる。確かにヤドカリの一種であるエダエダカンカンヤシガニは猛毒を持つが、姿形が似ているだけのエダエダカンカンガニには毒性は確認されていないというのに」妻は我が事のように嘆いた。

 もちろん便利屋はそんなトンデモない噂は聞いたことがない。

 だいいち大学教授の専門は地球熱学とやらで、カニとはまるで縁がないのだ。要するに、素人同然である。しかも大学教授は三年前に閑職に追いやられ、いまは図書館ナントカセンターとやらの所属だ。いくら国立大学の教授様だからといって、その程度の輩が食品流通に影響力を持つはずもない。
「わたしたちが冷静にさせてあげたい。対立は何も生まないから」
「科学者と市民のコミュニケーションは時代の要請なのよ」妻の声が張った。
「大変失礼ですが、ご主人は医者にかかっていると聞きましたが?」
「ええ。心療内科へ。でも気に入らないとお医者様を変えてしまうので、延べ7,8人になるかしら」
 迷惑な通院歴を語っているわりに、妻の目に陰は無い。ことばと裏腹に肌は上気し色づいてきた。話が噛み合わない。
「博覧強記、と言わせるまで医者を論破しようとするの。世間体がある立場だから、大学病院ではなく町医者ばかり選んでくるのよ」
「あまり話し言葉では使わない単語ですよね。お医者さんだって都合よく口にしないような気もしますが」
「景気が良くないせいかしら。最近のお医者様は話のわかる方が多いみたいよ」妻の瞳が開いてきた。やはり話が噛み合わない。
 便利屋は町医者ばかり選ぶ理由は問わなかった。
「敢えておうかがいすることでもありませんが、ご自宅でカニを召し上がることは?」
「いいえ。一度も。でもシンポジウムでの講演ではデモンストレーションで食べるわ」
 教授の妻は顔を上げ真正面の三脚に目をやった。デジタルビデオカメラが取り付けられている。部屋に入ってからずっと撮影されている。便利屋はソファに通されたときから画角に収まるように気配りしてきた。講演の録画を見るかと問われたが丁重に断った。時間は限られている。


<10:30>
「ではご主人との面談日時ですが…」
 そう言って便利屋は胸ポケットから手帳を取り出そうとしたとき、妻に押し倒された。倒れ込みながら顎先から右耳まで長いストロークで舐めあげられた。固めのソファにわざとらしく沈み込みながら、料金は既に前金で承っていると伝えた。飢えた妻には聞こえていない。ゆっくりと無駄のない動きで自分と妻の服を剥いだ。

 ひととき夫になってやる
 妻の愛に応えてやる
 乱れた長い黒髪をもてあそんでやる
 
 恥じらう
 甘えてくる
 女性経験を訊いてくる
 
 痩せて肩が細い
 皮膚は皺っぽく薄い
 息が臭い
 
 愛撫してやる
 ことばで褒めてやると反応が強くなる
 
 もったいつけて咥え込んでくる
 下手クソだ
 
 繰り返しかわいがってやる


<11:30>
 便利屋は股ぐらで非効率な運動をする頭越しに、安物の腕時計を確認した。時間がきた。目を閉じ舌を軽く噛み、素早く果てた。
「あなたは女扱いが随分上手いね」妻は浴室にそそくさと向かっていく。
 便利屋は前だけ隠した妻の背中に大学教授への嫉妬を返してやった。
 博覧強記、のひとことを織り交ぜて。


<12:00>
 便利屋は駅前のガラス張りのカフェに入った。また白と木目の内装だ。バリウムを多少マシにした程度の重ったるいチョコレートドリンクを含んで転がす。心療内科の女医に電話した。自宅を出たことと、ビデオの追加請求の件を伝えた。となりでは金持ちそうな奥さん三人組がハリウッドスターの不倫に憤っている。決して当事者になり得ない出来事に、暖かく守られた場所から非難を叩きつけている。お互いの話は聞いてない。
 顔を上げると、男物の服に着替えた大学教授が駅に向かっていた。
作品名:博覧強記 作家名:鈴木太郎