涙のわけ / 詩のようなもの
あとがき
これまで無造作に書き散らしてきた詩のようなもののうち、かろうじて手元に残ったものの中で、ひと目に触れてもまあまあ恥ずかしくないだろうと思えるものを集めて、一冊の詩集(のようなもの)を作ってみた。見るからに貧弱な冊子であるが、ご一読頂ければ幸いである。
私の詩の読書体験はほぼ戦前の詩人までで終わっている。したがって戦後詩をリードした例の「荒地」一派の詩集を耽読したという経験はほとんどない。故に私は暗喩の使い方がよく分からない。が、もういい歳だがこれからでも解ろうとおもっているのである。
一時期、三枚目主義ということを考えていたことがある。私のように私小説的な詩を書く人間はとかく勘違いの二枚目気取りの深刻路線に走りがち、或いは、独り悲愴感に陥りやすいので、精神的な心の構えとしては三枚目とか二枚目半程度で書くべきだと思ったのである。ところが実作してみるとなかなか巧く行かない。致し方ないことである。
平成二十四年三月十六日、吉本隆明氏が亡くなった。年齢が年齢だから亡くなる日もそう遠くはあるまいと思っていたが、本当に死なれてしまうと軽い動揺を禁じ得なかった。吉本さんの本は難しい。私などはその十分の一も理解できているか怪しいものだ。しかし、しつこく読んでいると所々分かるところがあって、そのラジカルさに度肝を抜かれたりする。そこら辺の良識的知識人などが絶対いわないようなことを、言ったり書いたりしている。
喩えを使って言うと、そこら辺の知識人や文化人が、頭脳の手先の器用な人々だとすると、対して吉本氏はあまり手先が器用だとは思えないが、頭脳の腕力のとても強い人と言えるのではないだろうか。その腕力で問題をどこまでもほってゆく。
兎に角、吉本氏の文章は、他のものと比べて迫力が違う。真の思想家なんだと思う。
最後に、この本をかけがえのない母と、「文学とは意識の地平を拡げる行為である」という大切なことを教えて下さった仏文の故M先生に(僭越ではあるが)捧げたいと思う。
平成二十四年八月 池本記
作品名:涙のわけ / 詩のようなもの 作家名:池本浩一