肌荒れ
昼休みになり、唯一の安らげる場所、休憩所に足を踏み入れた私は、先に来ていた安田さんの叱咤に迎え入れられた。
その声は軽くて、顔も普通だけど、その実本気で怒っているのかもしれない。彼女のばさばさのつけ睫毛がせわしなく動いていて、本心が分からない。
でも悪いのは私であることは明確だ。お弁当を両手に抱え込んで、頭を下げる。
「ごめんなさい。昨日はちょっと具合悪くなって…」
「でも、昨日、会社終わりには来てくれるって言ったよね? 連絡もなしにドタキャンなんて、困るし、高田さんらしくないよ」
「ごめんなさい…」
安田さんは正論を言っている。私は約束していた合コンを、急に休んでしまった。何度も誘われた末に、ようやく行くと言ったのに、結局いつものように行くことはなかった。
だけど、それには理由があった。それを、私は口に出来ないまま、ますます頭を下げてしまう。
「まあいいけど。かわりに真由に来てもらったから」
ふい、と顔が逸らされる。そうしてようやく、私は肩の力を抜いた。
私らしくない。それをいうなら、合コンなんてものに出ることこそ、私に相応しくないのではないか。
そう思考に落ちてしまう私は、やはりいつまでたっても、あの輝かしい場所に足を踏み入れられないのかもしれない。
私は俯きがちに、お弁当を抱え、少し居心地の悪くなった休憩室へと身体を滑らせた。
◆
私は幼い頃からコンプレックスの塊だったけれど、一番何が嫌かといえば、この顔だ。
顔のつくりはもちろん、パーツも、太い眉毛も、眼鏡をかけるしかない視力の弱い目ですら、嫌悪の対象だ。
鏡を見て、私はため息をつく。
昨日よりも肌の調子が悪い。ストレスのせいだとは分かっている。最近仕事が増えて、上司に怒られる回数も格段に増えた。
家に帰る時間も遅くなったせいで、生活習慣も乱れる一方で、それに比例するかのように、肌の調子はどんどん悪くなっている。
だから合コンに行く、だなんて返事をしてしまったのだ。
安田さんは前からちょくちょく私を誘ってくれる。数合わせなのだと分かっているけれど、本当は嬉しかった。だけどどうしても勇気が出なくて、いつも断ってしまってっていた。
だけどその日は、ストレスの発散になるからと安田さんに言われて、ついその誘いに乗ってしまった。
結局、安田さんには言えなかった。
本当は、私は昨日の夜、合コンのお店の前まで行っていた。
合コンに行くなんて初めての経験で、どきどきしながらも、精一杯の勇気を絞ってその場所へ赴いたのだ。
緊張しすぎて早く着いてしまった私は、店の前で立ちすくんでしまった。入ろうにも、一人では入れない。もしかしたらもう皆はお店に集まってしまっているのだろうか? そんな不安がよぎった。
いや、まだ時間になっていなのだから、待たなくてはいけないのだろう。
そう自分に思い込ませて、私は店の入り口の所で、待っていた。何人かの人間が通り過ぎていって、そのたびに居心地の悪さに肩を竦ませながら。
何人かの人間が、楽しげに笑いながら店から出てきた。私は身体を逸らして、ここで待っていないことを主張しながら、それでも寂しくはないのだと、携帯をいじった。
メールも着信もないディスプレイを睨みつけ、ふと顔をあげて輝く街を見ていると、何だか唐突に違和感を感じてしまった。
――私はどうして、ここにいるんだろう。
ふと思いついたその疑問は、いつしか膨れ上がり、ここにいること自体が苦痛となって私に襲い掛かってきた。
もうすぐ皆がここに来てしまう。その前に、ここから去らなくては。
そんな脅迫観念に背中を押され、私はあの輝かしい場所から、逃げ出したのだ。
◆
「ねえ、高田さん、今日は合コン行けるよね?」
それから二日後、もう誘ってこないと思っていたのに、安田さんにそう言われて、私は驚いた。
それでも私が行けない、というと、不思議な顔できょとんとした声を出された。
「何で?」
「な、なんで、って…」
「高田さん、今日の夜暇なんじゃなかった?」
――どうせ暇なんでしょ?
そう言われている気がして、カッと顔に血がのぼった。
どうしていつも私はこうなんだろう。
そんなことを何度も思った。
だけどしょうがないじゃないか、と私はすぐに思う。
どうしても出来ない。だって私は、いつまでたっても私だから。
「わ、私なんか肌が荒れちゃってるし、合コンなんて行ったことないし、ど…どうせ緊張しちゃって何も話せないし。いいのっ!」
思わず、私は叫ぶように言ってしまっていた。
何を言っているんだろう、私。
こんなことを言ったのは初めてで、心臓がばくばく鳴る。
すると安田さんは首を傾げて、私の顔を見返した。
「肌?」
「さ…最近、酷いの。もう顔も見たくないくらい、荒れちゃって。だ、だから、合コンなんて、いけないの」
興奮して、目元も霞んできた。
何と言われるだろうか。
本当だね、とか。こんなこと大したことのに、自意識過剰だとか。
啖呵を切ったくせに、内心びくびくしてしまう私は、やはり臆病ものだ。
だけど安田さんは、そんな私に構わず、何でもないことのように言った。
「言ってくれればよかったのに。私、いい薬持ってるよ」
「……え?」
「私も肌荒れに悩んでて、ちょっと高いんだけど、本当にそれで治ったんだよ。高田さんなら、お金とか持ってそうだし、大丈夫だよね?」
――前の私ならば、この言葉を、もしかしたら嫌味ととったかもしれない。
私には、貯金するしか能のない女なのか、とか。
だけどそれはひねくれてささくれた私の心がそう言わせる。それは私の大嫌いな私だ。
そんなことくらい、私にだって分かっているのだ。
「肌荒れなんて、女の子だったら悩むのが普通だよ。でも、化粧はあんまり塗らないほうがいいかもしれない。ファンデーションとか、濃く塗ったりしてる?」
私は俯いたまま、首を振った。
化粧なんかまともにしていない。
私は私が嫌いだから。化粧なんかで飾ったって、それは変わらないと思っていた。
「それと、合コンが緊張するんなら、私と一緒に行こうよ。誰だって最初は緊張するものだよ。でも、いつか慣れるって」
でも、もしかしたら。
輝かしいこのひとに、少しでも近づく努力を惜しまないようになれば。
恐れず、手を伸ばすことができるようになれば。
この肌のように荒れた心を、少しでも潤すことができたら。
「……ありがとう」
そのときようやく私は、私を好きになれるかもしれない。