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あなたのこと

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噛むな。
 かーむーな。
 ……ふざけんじゃねえぞ、この。

「いったあ!」
 行き成り頭に食らった衝撃に、情けない声が出た。
 わりと強めに叩かれた頭を抑えながら、目の前で渋い顔をした恋人を睨みつける。
「何すんのよ、女の子の頭叩くことないでしょ」
「噛むほうが悪い。躾だろ、しつけ」
「躾って、何その言い方。あんた、変態? 女の子を監禁したいとか考えるタイプでしょ。てゆーか考えてるでしょ!」
 あーやだやだと首を振り、AVとかも絶対そういう系のやつが好きなんだわ、あー怖い怖いと大袈裟にいってみれば、篤志の整った眉が不用意に歪まれる。
「人の腕を噛むやつに言われたくない」
 む。それを言われるとつらい。いつだって人の性癖というのは他人に理解されにくいものだよね。
 口を尖らせながら、それでも反論を呈してみる。
「だって、篤志の腕、本当にいい形なんだもん」
「形?」
「思わず齧りたくなるほど」
「それはやめとけ」
「触り心地もいいし。ほどよい筋肉が目の保養」
「そうか?」
「うん。今までに見た男のひとの中で、間違いなくナンバーワン」
「……」
 褒めまくったつもりでいたのに、篤志は渋い顔のまま黙り込んでしまった。
 え、何その沈黙。
「お前、本当に男の腕が好きなんだな」
「なんかその言い方本当に変態っぽいからやめて。フェチと言って欲しいわ」
「でも、俺の腕が好きなんだろ?」
「うん、そうね。好き」
 これには躊躇なく応えた。訊いてきたのはそっちなのに、篤志の顔は晴れない。本当にどうしたのか、と少々戸惑うと、篤志はわりと低めの声を出した。
「……お前、俺と初めて会ったときのこと、覚えてるか?」
 いきなり言われて、ちょっと面食らう。さっきから質問ばかりねえどうしたの、思い出に浸りたいのかしらと茶化してみようかとも思ったけど、視線を合わせた篤志が存外真剣な面持ちだったので、記憶を辿るまでもなく、私たちの出会いを口にした。
「もちろん覚えてるよ。篤志が水泳大会に出たときでしょう」
 篤志は大学生の頃、地元ではわりと有名な水泳選手だった。顔の整い具合の相まって、女の子のファンも結構いたようだ。
 そういう私も友達に誘われ、大会に見学をしに行き、それからは水面から現れる男のひとたちの逞しい腕に魅了されて何度も足を運んだ。
 そしてその中にいたのが篤志だった。
「ああ。あのときはわりと大事な大会だったんだけど、俺、準決勝で負けちまってさ。ファンの女の子たちは皆失望したような顔をしながら、それでも気を遣って遠くから見てるだけだったのに、一人だけ目をきらきらさせて近づいてくる女がいて。てっきり慰められると思ったら、いきなり貴方の腕が素敵ですごく好きです、なんていわれて。まさかそんなこと言われるとは思わなかったから、俺、思わず笑っちまってさ」
 もちろんそれも忘れてない。最下位の順位に近かった篤志は、水の滴る顔で盛大に爆笑をし、他の選手から変な目で見られ、その場の空気を若干変なものにしていた。
 しかし篤志は気にした様子もなくて、目の前で呆然とした私に構うことさえなく、自分の気が済むまで笑っていた。
 それから帰り際に、篤志に引き止められて連絡先を交換し、何度か会ったのちに、付き合うことになった。うんまあ、一番最初の出会いを除けば、いたって普通の男女交際の経緯だと思うけど。
 そう軽めに考えていた私は、言いづらそうにしている篤志の言いたいことが、まるで予想できなかった。 
「お前が俺に話しかけたのって、俺の腕が好きだったからなんだよな?」
 いきなりそう言われたから、思わず目をぱちくりさせてしまい、俯きがちになった篤志を見つめた。
「俺はお前が好きだけど、本当にお前は俺のことを好きなのか、ときどき分かんなくなる。お前はただ俺の腕が好きなだけなんじゃないかって、不安になる」
  ……えーっと。それはつまり。
 自分の腕に嫉妬してるってこと?
   篤志の言いたいことを理解し、一拍の沈黙を置かれると、今度は私が爆笑をした。目を見張って呆然としたのは、篤志の方。
 ああ、まるっきりあのときとは反対だなあなんて冷静に考えている私は、やっぱりそこまで変なやつだとも思えないんだけど。
 何とか笑いを抑えつつ、篤志に言う。
「私、分かってると思ってた。だって篤志、言ってくれたじゃん」
 篤志こそ忘れたの? といたずらっぽく笑いかける。
「ありがとう、って」
 私はあのとき賭けをしたのだ。それはわりと危険な賭けだった。
 だけど顔の水滴を拭かないままで笑った篤志は、その輝く顔のまま、お礼を言ったのだ。
 それは私の賭けの勝利を表していた。もし篤志が強張った顔のままでいたのなら、それは私の賭けの敗北を示し、きっと篤志を好きになったりはしなかっただろう。
 いや、違うな。あのとき私は、賭けに勝ったから、篤志を好きになったわけじゃない。あのとき自分に向けられた無防備な笑顔に、ただノックアウトされただけのことなのだ。
 ただ、それだけのこと。
 でもそれが、どれほど私にとって、嬉しかったか。
 確かに言ったことはなかったけど、言わなくても分かっていると思っていたのに。
「私はさ、篤志のことよく分かってるよ。たぶん、篤志が思っているよりも、ずっとね」
 舐めないで欲しいな。伊達にずっと見てきてないわよ。あんたが私を知る前から、ずっと。そしてそれから後も。あんたの腕だけじゃなくてあんた自身を。
 私はようく、知ってるんだから。
 にこっと笑顔をつくってから、私を抱き締めたそうにしている篤志の腕に、自ら飛び込んでやった。
作品名:あなたのこと 作家名:椿すみれ