蝉の夢
嘘だか本当だか知らない。小学三年生の時の教師が、課外授業と称した体のいいサボタージュをしている際に、面白半分に私に語って聞かせた話である。
『蝉ってなア、七年も土ン中にいんだぞ。んで、やっとこさ地上に出て来たと思ったら、一夏だけ鳴き散らして死んじまう。人騒がせなヤツだよなア』
銜え煙草で、犬歯で噛んだ唇を笑みの形に歪めて、教師は言った。今思うと、とんでもない教師である。
私が通っていた小学校の裏手には、森とは呼べないまでも、それなりに鬱蒼と茂った木々が密集している区画があった。“時雨の森”と呼んでいたように思う。
名前のとおり、夏になると蝉が時雨のごとく鳴く。あの、耳の内側を逆撫でる断末魔が、濃密な森の空気に溶けるように降り注ぐ。
現実と非現実の境界が、曖昧になる。耳の内側で鳴り響く断末魔に合わせて、中に詰まっているいろいろな物がぞろりと蠕動する。緩慢に腐敗している、ような錯覚を、する。
(七年、も)
(土の中で、)
(ああ、そうだ)
その時私は教師に、こう尋ねたのではなかったか。
七年も土の中で何をしているのか、と。
すると教師は、何と答えたのだったか。確か。
『寝てんじゃねえのか』
(そう、だから私は、たしか)
寝ているのならば、夢は見るのかと、訊いたのだ。
七年も土の中で眠っているのなら、一晩では見られない壮大な夢が見られるのではないかと、浅薄なことを考えたのに違いない。事実、それらしいことを口にした記憶もある。
ジイワジイワ、蝉が、断末魔か悲鳴か、そんな鳴き声を上げる時雨の森の中で、教師は呆気に取られた顔を見せ、すぐに意地の悪い大人の顔をした。
一瞬、全ての音が消失した。だから教師の声は、あの場所にしては場違いなほど明瞭に、一字一句刻み込まれるようにして、私の耳に届いたのだ。
『それじゃあ俺らは、蝉が見てる夢かもしれねえな?』
(ああ、そう、言った)
その時から私は、蝉の夢の中にいるのだ。
いつ醒めるとも知れぬ蝉の夢の、その中で飼殺しにされている。
蝉が地上に出て、自らの手足で樹皮を這い登り、醜い外殻から蒼白いその身を晒すまで、私たちはずっと、蝉の夢の中で生きるのだ。
蝉の夢
(一夏限りの、断末魔を上げるそのために)
.20120715