あやしい物
日が昇ったばかりの朝は、寂しいくらいに静かで、自分の足跡ばかりが辺りに散って行った。
――そういえば、元々ここはそんな所だったな…。
ここは、誰もが望む不可能な事を叶えてくれる場所でありながら、それ以上の事も、それ以下の事も叶えてくれない場所。
本宮明(もとみやあきら)は、真っ白な花を数本片手に持ち、そこを歩いていた。
真っ白な花は、雪のようでありながら、温かさを持っていた。まるでそれは、大切な人との再会を喜びに待っていたかのようだった。
明は歩みを止めた。彼の目の前には、黒光りする、大きな逞しい者がいた。
「…父さん」
明は去年の冬に交通事故で父親を亡くした。明の父、光(ひかり)は立派な父親だった。
花立に真っ白な花を挿して――そこを離れることができなかった。
厳密には、墓石の前に座ったその動作のまま動けなかったのだ。
背中に何か硬い物を押し付けられていた。
明はその何かがなんなのか、そういう”類”に身を置く自分は理解していた。
『銃口』
闇の組織の住民ならばこの感覚には慣れっこである。ゆえに明にはそれが
『口径十ミリの片手型マガジン08-N』だと分かったのだ。
「やっぱり来たんだ?」
と、落ち着いた自分の声が漏れる。
振り返れなかったが、銃を突き付けてくるソイツは、父親が死んだその日から約一年間追い続けてきた男に違いなかった。
「お前が生きている限り、追い続けるさ」
銃口を押し付けながらソイツはそう言った。その声はもはや聴き慣れたものであり、その言葉に対するソイツの覚悟も、今までの行動から生半可なものではないと十分理解できた。
「お前は幸せだ。父親の元で死ねるのだからな」
父さんは俺の目の前にいる。どう思っているのだろうか、こんな俺の事を。
「死んでもらおう」
銃口がさらに押し付けられた。
俺はソイツにばれないように、こっそり手を動かしながら話し掛けた。
「一つだけ質問させてくれないか?」
ソイツの返事が少し遅れた。
「…手短にしてくれ。僕は君を殺すためだけに生きてるわけではないんだ」
「ありがとう。では単刀直入に言わせてもらうが…」
ソイツに見つからないように銃を握りしめ、そして、
「父さんは生きているのか?」
「それは答えられないな」
「何でだよ!あの時…あの時確かにお前は俺の親父を助けに、暗黒組織へと乗り込んでくれたんじゃなかったのかよ!動けなかった俺の代わりに救出に向かってくれたのはお前じゃなかったのかよ!何よりたとえ行くと固執しても、そんな俺の身体を気遣って自ら代理人となったのはお前じゃなかったのかよ!」
消すことはできない、いつも陰ながら心のどっかに寄生していた怒りが火に油を注ぐように始まった。
「だから俺は一度、お前の熱意に負けてるんだ。ほんの一瞬状況を忘れてしまうくらい、すっごいカッコイイって思ったんだ。でも、お前はその期待を裏切って今ここにいる!父さんはこの通り死んでいるのにだ!よくも…よくも…よくもぉぉぉぉぉ!!」
明は握りしめた殺人兵器の黒い銃を目の高さまで掲げた。本気で打つために銃は掲げられたのだ。
しかし、しかしその動作は完了する前に辺りの何もかを振り払うような強い声が防いだ。
「おらぁ~!墓場を壊すな~!!騒動の興奮度をここではマナーモードにしやがれぇ~!!」
この男の名前は厳造互丸(げんぞうたがまる)。ここの墓場の総責任者である。始め、若者二人による会話をホウキ片手に聞いていた厳造は、上辺だけのドラマのマネごとだろうなと捉えていた。だが若者二人の手をよく見れば見事な銃が握られているではないか。
「お前ら…ここで何をしている…?」
偽物なんかではない。二つの拳銃は決して偽物なんかではない。重く張り詰めた空気がそのことをはっきり暗示していた。
「ここで何をしているんだって……言ってんだぁ!!」
男の厳造は己の全てをかけて、自らが長年守ってきた墓場を救うべく、ヅラを、自らのヅラを勢いよく取り捨てた。要はハゲ頭をさらけ出し、本気を見せたのだ。
百パー毛のないハゲ頭は、地に降りた太陽のように煌々と輝き、その光は沢山の墓石に反射し、墓場全域を包み込んだ。
「うっ……」「くっ……」
二人の若者は年差を表すハゲの光に目がくらみ、厳造はその隙を見逃さなかった。驚くべきすり足の速度で二人の若者の拳銃を奪い取り、再びヅラを頭に装着。
「きさまら…この若造が!ガキが!……ってこれはぁ!!」
実はただのエアガン。
二人の若者はプロの俳優目指して日々特訓中。
信号機よりも早くやつれた蒼白から赤面へと変え、全身汗でぐっしょりとなった厳造は、壮絶な羞恥心に見舞われ、そのまま――――――――ダッシュ!!
日が沈むよりも早く走ったとされるメロスのごとく、地中の裏側まで僅か三分ほどで行けそうな速度で厳造は走った。だが当然、こんな速さで走ったらとてつもない摩擦がかかる。
光の帯を引き炎上した彼は、そして…地面に焼けた跡をつけ…星となった。
その星は空しく、昼間なので全く見えなかったが。
果てしなく焼けた大地の上に、唯一彼がいた証拠となるものが一つ。
…カツラ…
完