雪割草
〈39〉藩のゴタゴタ
光圀と対面した与兵衛は紀州で起こっているゴタゴタについて話し始めた。
「実は家督に関することでございます。」
「今の藩主は光貞どのだな。参勤交代で今は江戸屋敷であろ?」
「はい。何事もなくお過ごしです。殿が御帰国できないので、私が参りました。」
「御苦労であったな。」
「もったいのうございます。今まで調べたことでわかっておりますのは、四男の若君に関することです。私の父はそのお方に仕えております。」
「光貞殿には四人も男がおったのか?ワシは二人しか知らんかったがの。色好みが過ぎんか?」
「はぁ。ご側室がたくさんいらっしゃいますが…。」
「ほれ、思ったとおりじゃ。」
「ご隠居、今そういう話ではございません!」
傍で聞いていた早苗に釘をさされ、横道にそれてしまいそうになった話の筋を戻した。
「すまんの。つい…。それで、四男はどういう人物じゃ?」
「若君は恐れながら、母上の身分がお低いゆえ世間に知られずに育ちました。
周囲から冷遇されていらっしゃったので、グレてしまわれて…。」
「少々グレても平気じゃがの。ワシなんか…」
再び早苗から「脱線するな」と言わんばかりの目線を送られ、無駄話をするのをやめた。
「グレて、どうなったのじゃ?」
「屋敷にはじっとしておらず、悪いお友達と遊びまわっているご様子。
しかし、御老公様、若君は聡明なお方です。うつけではありません。
今は不遇ですが、機会があれば必ず伸びる素質をお持ちです。」
「わかった、一度会って見よう。それで、肝心の家督問題とは?」
「すみません、私の方も話がずれました。申し訳ございません。」
「なんですか?ご隠居、その笑みは?」
ワシだけ脱線したのではない、与兵衛も同じだと言わんばかりの表情で光圀は早苗を見てきた。
「お前さん、なんでそんなに怒っておる?」
「怒ってはおりません。」
少々ふざけた光圀の態度が、安全が確信できてない場所から早く宿に戻りたい、新助一人ほかって来たのが心配という気持ちのあった早苗をいらつかせていた。
ぐだぐだしはじめた雰囲気を引き締めるかのように与兵衛が真面目な話に引き戻した。
「若君を家督継承順位から外そうという動きがあります。」
「長男の綱教殿は有力候補だな。しかし、次期将軍候補とも言われておる。そうなると他の男子にも可能性があるということか。」
「はい、そこで、二番目に有力視されている頼職殿の母方の家老が裏で暗躍しています。
その一つが、女です。」
「女?」
「昼間、ご覧になったと思いますが、大店の娘をどこかの姫に仕立て上げ、若君に輿入れさせ、骨抜きにさせるつもりだそうです。」
「では、あの娘は与兵衛さま浮気相手とかではないんですか?」
ずっと黙って聞いていた由紀が与兵衛に聞いた。
「まだ信じてくれてなかったの?仕事って言ったのにな。やっぱり私は不甲斐ない男か…。」
「ごめんなさい、信じてます。ね?与兵衛さま。」
「ありがとう。」
「ちっ。」
早苗は思わず舌打ちしていた。
本当の姿の時なら絶対にこんなことしないのになぁ。
なんでだろ。
その様子を隣にいた助三郎に見られていた。
「なんでそんなにイライラしてる?舌打ちなんてお前に似合わんぞ?」
「いや、なんでもない。…イチャイチャ見せつけやがって。」
いけない、思ったこと口に出したらとんでもない暴言になってた。
男の口調ってやっぱり下品…。
我慢しなきゃと思いなおし、与兵衛と由紀を見るとまたイチャイチャし始めていた。
「与兵衛さま、なんであの子と逢い引きしてたの?」
「付け入って、情報を聞き出すためなんだ。口が軽いから結構話してくれた。
由紀とはこのゴタゴタが終わったら一緒に出かけようね。私の故郷見せてあげるから。」
「うれしい。楽しみにしてます。与兵衛さま。」
「…いいよな。人目もはばからずイチャイチャできる勇気があって。」
「みっともない、女のくせに。」
「は?なんで由紀さんの方なんだ?…格さん、やっぱりあの子に気があったのか?」
「そんなんじゃない。好きな男とイチャイチャするのを見せつける女は嫌いなんだ!」
「それが焼き餅なんじゃないのか?」
「フン、知らん!」
そんな二人の無駄話をそっちのけに、与兵衛は話を続けた。
「御老公様、あの娘は姫に仕立て上げるなど到底無理なみかん問屋の娘です。
見た目はそこそこですが、話し方は上方言葉の訛りがひどく、性格はとんでもないわがままでして…。そんな女を若君の傍に侍らせるなどもってのほかです。若君には賢い奥方、側室でもそれ相応の方をつけるべきなのです。」
「そうじゃな。女をくっつけて男をおかしくさせようなど考えが悪すぎる。懲らしめてやらねばならん。それに、そんなことを企む危険因子は排除せねば御三家の名が廃る。」
「では、お力をお貸しくださいますか?」
「もちろんじゃ。明日から八嶋殿の仕事を手伝おう。
一通り調べがついたら、城に上がって直接対決とワシは考えておるが。どうじゃ?」
「心強うございます。手筈に問題はございません。
しかし、御身の危険がございます。
私の屋敷にお越しください。そちらの方が安全です。」
「わかった。今から行こう。」
「おいらなんかここに入っていいんですか?おいら町人なのに…」
荷物を宿から取ってくるついでに新助も与兵衛の屋敷に連れてきた。
しかし、居心地が悪いらしくおびえていた。
「心配するな、お前は俺たちの仲間だ。だが、その代りにいろいろ手伝ってもらうからな。いいか?」
「はい。なんなりと。」
皆が屋敷の奥に姿を消しても新助は草鞋を解こうとしなかった。
様子を見にきた与兵衛に勇気を出して聞いてみた。
「…あの、納屋なり物置なりありませんか?八嶋様。」
「どうして?」
「上にはあがって眠れません。手頃な場所を貸していただきたいのですが。」
「遠慮しないで上がってください。」
「いいえ、おいら怖くなってきたんです。
皆さんお武家様なんだって今更ながら実感しました。
ご隠居なんてよばさせてもらってたけどあのお方は天下の黄門様…。
お願いですから今夜は納屋をお貸しください。」
「そうですか?では、庭の隅に蔵があるので、そこでおやすみください。あそこなら普通に寝られますよ。」
「ありがとうございます。八嶋様。」
「与兵衛さんで良いですよ。新助さん。」
その頃光圀は屋敷の奥で与兵衛の父、与左衛門と話をしていた。
「若君に会いたいのだが。会えるかの?」
「明日どうにか捕まえますので、お会いして下さいませ。グレてはいますがしっかり話は聞く若者です。…どうぞ、お願いいたします。」
「若君と、光貞殿との関係はどうなのじゃ?」
「悪くありません。むしろ良い方です。国元にいらっしゃる時は長い時間一緒に過ごされます。しかし、御兄弟とは仲がよろしくありませんね。兄君たちが小さい時からいじめていたので。」
「そうか。かわいそうじゃの。」
「御老公様のお力で、若君の将来が開けるとよいのですが。」