アジアの夜
Episode.7
物心ついてからずっと仲の悪い両親の姿しか見てこなかった。何が最後の家族旅行だ。ふたりが長年繰り広げてきた茶番劇に付き合うのはもう限界。まさかこんなところにまで来て醜態を晒すとはね。うんざりだった。
「ごめん……こんな話して。普段は絶対にこんなこと言わないんだけど……でも別に同情してもらいたいわけじゃないから」
「わかってる」
小さくつぶやいた彼女は相変わらず頬杖をつき視線を落としたまま、空になったグラスをうつろに見つめている。
「ぜんぜん知らない場所で出逢った、ぜんぜん知らない誰かだからこそ本音が言えるのよ。私もそう。あの人には絶対に日本に帰りたいなんて言わない。言えないもの。黙って聞いてくれるあなただから言えるの」
微笑む君の横顔にまた暗い翳が揺らぐ。
「行きましょうか」
「え?」
「夜の観光ツアー」
上目遣いの黒い瞳が不敵に光る。
「なんかこう、ぱあっと遊びましょうよ。ふたりで。せっかくこうやって逢えたんだから」
まるでクラスの女子みたいになんの屈託も迷いもなく僕を誘う。違和感はまるでなかった。逢って一時間足らずしか経たないのに、既にふたりの間で温かい感情を共有していたから。
それはきっと淋しさという名の親近感。
「じゃあ、案内してよ。僕海外旅行初心者だし」
「……初めて笑ったね。想像していた通り、笑うとすごくイケメンさん。将来たくさん女子を泣かせそう」
「いい大人が子供をからかわないでよ」
再度くすっと僕は笑った。君は頬杖をやめてそっと僕の手を握る。されるがままの僕は恐る恐る彼女の顔を見つめた。
──誘惑されてる?
そう思ったのもつかの間、彼女はテーブルに食事の代金を置くと即座に立ちあがり一刻の猶予もならない、とばかりに僕の手を強引に引っ張って店から躍り出た。