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凌霄花 《第一章 春の名残》

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〈04〉衝撃



「綺麗…」

 その日早苗は花見を楽しんでいた。
空は生憎の曇り空だったが桜は満開。
 うっとりと花が散る様を眺めていた彼女の幸せな時間を、あの男が食い気で打ち壊した。

「早苗さん。 お団子もらいますよ」

 花より団子が言葉通り当てはまる新助だった。

「もう! お花見なのに!」
 
 美しい景色の中で、夢見心地になっていたのにもかかわらず現実に引き戻された。
その事が不満な早苗は新助を睨んだ。
 しかし、彼はそんなことはお構いなしに団子を頬張っていた。
さらに、彼は仲間の二人と昼間から宴会を始めた。

「さぁ酒だ! 新助、与兵衛さん、まぁ一杯」

 助三郎は弱いにもかかわらず酒を飲み、仲間に酒を勧めていた。
そんな彼らを由紀は呆れた顔で眺め、言った。

「慶太郎、あんなのになってはダメですよ」

「はい!」

 由紀の膝の上で彼女の息子が元気に答えた。
可愛い彼に膨れっ面だった早苗も笑顔になった。

「偉いね、慶ちゃん。クロも見習わ…」

 慶太郎より年上の黒い犬は助三郎から酒の肴をもらってがっついていた。
男の仲間になっている愛犬の背中に早苗は呟いた。

「…やっぱり、花より団子なの?」

 しかし、人間の大きな欲求である『食欲』に早苗も勝つことは出来なかった。
隣にやってきたお孝の手に、先ほど新助が食べていた団子があった。
 小振りだが艶やかな団子は、早苗の眼にその美味さを主張しているかのように見えた。

「これ、おいしいって評判なんですよ。食べません?」

 甘いものが好きな早苗は、折れた。

「…食べる」

 女同士でおしゃべりしながら甘いものを食べていると、男たちの中から声がかけられた。

「早苗、格さんは?」

「そうですよ。今日格さんもお仕事無いって言ってませんでしたっけ?」

「だったら、来ないと。こんなにおいしい酒があるんだから」

 口々に言う男たちに早苗が流されることは無かった。
昼間から酒を飲むためにだけ男になるなどという馬鹿らしいことはしたくなかった。
 花を眺めながら女同士でおしゃべりの方が何倍も魅力的だった。
 
「あの人は来ないわよ。昼から酒はイヤだって」

 そう返事をすると、男たちの中から残念がる声が上がった。




 昼過ぎになると、どんよりとしていた雲行きは怪しくなりはじめた。
雨に濡れてしまう前に引き揚げようかと検討してた所に、侍が数人走り寄ってきた。

「居たぞ!」

「居たか!?」

 物々しい雰囲気に、助三郎は早苗を背後に隠した。

「…離れるなよ」

「うん」

 何事かと身構えたとたん、年配の一人が助三郎に焦った様子で言った。
  
「佐々木! 早く屋敷に戻れ!」

「…はい? どちらさまで?」

 助三郎の身形は完全に町人だった。
それにもかかわらず、助三郎の姓を呼び捨てにする。
 知り合いに違い無いのだが、当の助三郎は皆目見当がつかなかった。
 
「わしがわからんか? 一昨日、挨拶しただろう」

 その言葉を聞き、記憶を掘り起こそうとした助三郎だったがすぐに諦めた。

「…申し訳ございません。様々な方とお会いして顔と名前がくっつきません」

 それも事実だったので、『酔って頭が回りません』という返事は捨てた。

 助三郎の返事の手ごたえの無さに、呆れた様子の男だったがすぐに切り替え
怒鳴った。

「とにかく、今すぐ屋敷に戻れ!」

 焦った様子が眼に見える男、彼と一緒に来た男も同様だった。
何かイヤな予感がした助三郎は、男に聞いた。

「一体何事ですか?」

「細かいことは後だ。とにかく一刻も早く藩邸に戻れ」

「はい。では、さっそく…」

 助三郎は背後の早苗を由紀に任せると、身支度をし始めた。
その様子を見ながら、男はまたも話しかけた。

「渥美の居場所は知っておるか?」

「…渥美ですか?」

 助三郎は由紀の隣の『渥美』をちらっと見た。
彼女は不安そうに彼を見返した。
 一方の年配の男は、一緒に来た男と相談し始めた。 

「…いつも一緒だから、今日もそうかと思ったが外れたな。どこを探せばいい?」

「渥美は到って真面目と聞いております。遊びになど行ってないと思われますが…」

「そうか? わしはどうもあいつがよく分からん。今までの若い者とは大分違う…」

 助三郎は『渥美』の居場所を把握していたので、二人を安心させる事にした。

「居場所は知っておりますので、同行させます。ご心配無く」

 真面目にそう言うと、男二人は安堵し他の所在不明の水戸藩藩士を探すため、去って行った。




「…何かあったんですかね?」

 傍で一部始終を聞いていた与兵衛が助三郎に聞いた。

「何でしょうね? うちの藩に災いでも無ければいいが…」

「ですね。うちの藩も一悶着ありましたから。あの時は御老公が助けて下さった…」

 与兵衛の藩、紀州藩で起こった揉め事を光圀が収めた。
感謝している与兵衛はもちろん、一同皆で亡き光圀を偲んだ。
 しかし、のんびりそんなことを続けてはいられない。

「助さん。早く行ってください。ここの片づけは私たちがやりますから」

「すみません。では、お言葉に甘えて。行くぞ、早…」

 助三郎が振り向いたところに、早苗はいなかった。
代わりに、行方知れずの『渥美』が立っていた。

「早いな。もう変わったのか?」

「こっちの方が速く走れるからな。さてと皆さん、いきなり現われてなんですが、お先に失礼します」

「お仕事がんばってね」

 由紀は膝の上の息子と一緒に手を振った。
可愛い男の子に、早苗も手を振った。

「慶ちゃんまたな」

 慶太郎は元気に答えた。

「かくにいちゃん、またね!」

 挨拶を終えるや否や早苗は助三郎を挑発した。

「俺に勝てるか? 助さん」

「何だと!?」

 二人は藩邸まで突っ走った。





「お前たちはこの一大事に何をしておった!?」

 息を切らして藩邸に到着した二人に、雷が落ちた。
その場に居合わせた中で一番位が上の男が怒鳴る男を宥めた。

「…そうカッカと怒るな。二人とも非番だった。遅れても仕方あるまい」

 穏便に済ませてくれた彼に、早苗と助三郎は頭を下げた。
頭を上げると、早苗は億さずに男に聞いた。

「…不躾ながら、本日の急な呼び出し、何用でございますか?」

 すると、先ほど怒鳴った男はまたもや怒り始めた。
それをまたも先ほど彼を宥めた男が制し、早苗に話し始めた。

「江戸城で、刃傷事件だ」

 吃驚した二人は、続きを待たずして質問した。

「誰と誰がでございますか!? まさか…」

 助三郎が眼で自分の考えを訴えると、男は溜息をついた。

「まだわからん。それ故こう慌てておるのだ」

 不安が皆の心に暗い影を落としていた。
気付くと、部屋に集められていた藩士皆が不安がり、皆同じ言葉を発していた。

「我が殿ではあるまいな?」

「もしそうだったらどうなるんだ?」

 早苗と助三郎も不安に苛まれたが、じっとこらえ部屋の隅で報せを待った。

 程無く、部屋に向かってくる足音が聞こえた。

「来たぞ!」

「誰と誰だ!?」