帯に短し、襷に流し
小紋における柄置き
着物全体の柄の雰囲気を「柄行(がらゆき)」という。その柄のおき方を、「柄置き」といい、柄と柄を合わせて一つの絵にすることを「柄合わせ」という。または、柄をおく場所を決めること。
訪問着風の柄置きの着物があったとして、飛び柄で柄合わせのない裾だった場合、「柄行はつけ下げね」といったりする。それが、裾にのみ柄があり、紋がついていれば「これは、留袖の柄行ね」となる。
訪問着であれ付け下げであれ、柄の方向が決まっており、切る所が決まっているものは、まず、問題にはならない。
裁ちで一番難しいのは、浴衣と大島である。
どちらも小紋柄で、どちらも、最初から丈が短い。「丈」とは、「じょう」と読み、反物の長さのことを言う。
浴衣は、部屋着であるから、そもそも短くても困らない。よって、全体の平均値を取って織られる。大島は、普段着である。普段着がずらずら長くては仕事がし辛い。これも、短くてよいのだ。その寸法で行くと、紬も同じくだが、違うところは、色無地で一つ紋が入っていれば、ちょっとしたところに着ていける、洋服で言うなら、きれいめワンピースぐらいである。
素材が紬だからといって、何でもかんでも普段着ではないというところに、大島や浴衣の届かない部分がある。
問題になるのは、その柄置き。洋服では、肩で接ぐから、後ろも前も柄が立つ。ところが、和服では、肩に縫い目はつけないから、方向性のある――和裁では、一方付いているという――柄では、どうしても、前か後が下を向いてしまうのだ。
たとえば、桜にしても、ソメイヨシノは花が先に葉があとから出る。山桜なら、葉と花は同時に出る。花は、上を向いて咲くばかりとは限らない。枝垂桜は、上から下と下がって咲くものだ。
梅なども、上から下に枝が伸びていたり、横に伸びた枝もある。
藤などは逆さまになっているとおかしいかもしれないが、風に煽られた藤は横になびくし、自然の一風景を切り取ったと思えば、通常逆さまに見える柄でも、必ずしもおかしいことはない。
とは言うものの、やはり、逆さまになっていると、おかしいと思える柄もある。
たとえば、御所車など、逆さまになることなどあり得ない。貝桶をひっくり返して置くことはまずないし、現実に、逆さまに牛車が宙を移動することはない。
そんな状態が、本当にそんなことがないかといえば、ないことはない。
池のほとりを歩く人が水面に映ると、当然、ひっくり返る。同じく、牛車が川のほとりを移動している時、対岸から見たら水に映ったそれは、逆さま。
逆さ富士というのもあるし、天橋立は、わざわざ、股の間から見たりする。
一種、屁理屈のように聞こえるが、小紋の柄取りは、逆さまも一つの柄と考えられる。
遠山がひっくり返ってると、一見おかしく感じるが、蜃気楼は山をも逆さまに映してしまう。
着物の基本は、後姿にあるから、後ろの柄を見栄えよくして、前の柄に重きは置かない。
はっきり見えないところで想像力をたくましくするのが着物姿の良さでもある。
夜目・遠目・傘の内、というが、これは、そういう意味ではない。はっきり見えないところで、所作やコーディネートなどに、その人柄を見るわけで、洋服のように、着ている人を、より美しく見せるものではない。
正面から、じろじろとその造形、および服装などを品定めすることは、無粋である。
だから、前の柄に神経質になることはないのだが、洋服の常識が罷り通っている現在は、おかしく見えてしまうらしい。
そういうお客様は、やっぱり、そういう考えに固執していらっしゃるから、いくら説明しても騙くらかされていると思われるらしい。
和服は、着飾るものではないんです。
美しく見せたいなら、内側から磨きましょう。
2014.10.23 冬支度が急がれるこの頃。
2014.10.25 加筆・修正
2014.11.24 転載