シャボン玉
小さな子どもがシャボン玉遊びをしていた。風に吹かれてぼくたちの方に流れて来た。
「あぁわれちゃった」
裕子はシャボン玉を見ながら言った。
「壊れないシャボン玉あるといいのに」
「そうかな、弾けるから楽しいように思うけれど」
「風船のように遠くまで飛んでくれたら、シャボン玉のなかに夢を詰め込むの」
「壊れなかったらどこまで飛んで行くのかな」
「そうね。永遠に飛んでいるのかな。夢ってさ、叶わない夢が多いと思うから」
学校の時は三つ編みしていた髪が、今日は風に吹かれていた。
その肩より下まである髪は香水ではないけれど、とても良い香りがした。
ぼくはふと何年か過ぎたら、子供と公園でシャボン玉遊びをするようになるのだろうと思った。その子供を産んでくれるのが裕子であったらいいなとも思っていた。
「四角や三角のシャボン玉もあるといいな」
裕子はとんでもないことを言い出す。
「出来る訳ないよ」
「積み木の様に空高く積んで見たいな」
とても短い裕子との思い出。
ときどき虹を見ると裕子を思い出す。裕子が積んだシャボン玉のように思うのだ。
裕子がシャボン玉に詰めた夢はなんだったのだろうかとそんな事も思い出す。
ぼくの夢もきっと裕子の夢もあの時は一緒だったような気がする。
壊れないシャボン玉のなかでまだどこかを飛んでいるのかもしれない。
夢とはそんなものなのだろう。
何処までも青い空。それが青春なのだろう。