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 デート中にジョニーを落とし穴にはめてやった。朝のうちにこっそり掘っておいたのだ。早起きしたのだけど、ジョニーは待ち合わせ時刻の数時間後にやってきたので、ほんとはその必要もなかった。
 ジョニーは「アウチ……」とつぶやきながら立ち上がると、わたしを見あげてこう言った。
「ヘイ、マイハニー、こいつはなんだ? ジョークにしちゃあやりすぎだぜ?」
「ジョークなんかじゃないわ。これはわたしとあなたの愛の試練よ」
「ワッツ? 愛の力でのぼってこいってことか?」
「それができるなら、それでもいいけど。けれどいまのあなたには無理でしょう」
 わたしは穴底のジョニーをちらりと見、またすぐに目をそらした。
「そんなにぶくぶく太って。自分がなんて言われてるか知ってる? 『できそこないのしみチョコBIG』よ?」
「どういう意味だ?」
「でかいくせに中身はスカスカってことよ! それに黒い!」
「おいおい、オレはおまえのために黒くなったんだぜ? おまえがダイエットしろっていうからさ……」
「だからってなんで、よりにもよって日焼けサロンなのよ! わたしはあなたの白い肌が好きだったのに! 痩せるなら他にいくらでも方法があるでしょ!」
「それはだな……」
「知ってるわ。バイトの子と浮気してるんでしょ」
「え」
「ダウンタウンでナンパしてるのも知ってる」
「あ、いや……その……」
「……あきれた。言い訳すらできないなんて。ほんと、いつからそんなになっちゃったの? どこへいってしまったのよ、スマートでスリムでクールで硬派で雪のようにきれいな肌をした、わたしの自慢の王子さまは?」
「お、おいキャシー、まさか――」
「別れて、なんて言わないわ。わたしはまだあなたのこと信じてる」
「キャシー……」
「だからこそ、こんなことをしているのよ。もとのあなたにもどってほしい。もどれると信じてる。これはその第一歩。ダイエットが成功するまでは、あなたにはそこにいてもらうわ。食事はわたしが毎日運んでくる。わかってくれるわよね、ジョニー? これは、愛の試練なの」


 夜の帰り道。
 土に汚れたスコップと重い足とを引きずり引きずり、ダウンタウンを歩いていると、クラスの女たちが声をかけてきた。
「キャシーじゃん。今日はしみチョコといっしょじゃないんだ?」
「やめなよ、カワイソー。こいつ愛想つかされてんだから」
「アハハ、あんなのに愛想つかされるって! 演説中の大統領の顔にチェリーパイが投げつけられるのと同じくらいの珍事だわ! マジセイテンヘキレキ! アッハァ!」
 わたしはむっとして言い返す。
「適当なこと言わないで! なにか証拠があるの!?」
「証拠ー? あ、あるあるー。あんた、アレ見せてやんなよ」
「あ、アレねー」
 女がパンツの尻ポケットから無造作にとりだしたものを見て、わたしは驚愕した。
「これ……」
 それはペンダントだった。去年の彼の誕生日に――
「あ、なに? もしかして、あんたがプレゼントしたの、コレ?」
「……どうして」
「えー、なんかしみチョコがさあ、遊ばない? とか声かけてきて。ウザかったんだけどいいものあげるからとか言うからしかたなく付き合ってやったワケ。それでくれたのがコレ」
「緑と黒の縞模様とか、もはやセンスとかって話じゃないよねー。スイカかっつーの」
「アハ、ちょつっこみうますぎ! アハハハハハ」
 下品な笑い声が耳にこだまする。
 わたしはめまいをこらえながら、なんとか尋ねた。
「いつの話?」
「ハハハ……え、なに?」
「それもらったの、いつの話、って訊いてるの」
「今日」
「……今日の、いつ?」
「昼ー。12時くらいだったっけ。あ、これ返すわ。もともとあんたのでしょ? あたしが持っとくのも悪いしさー、ハイ」
「素直にいらないって言いなよー」
「こらー、カワイソーでしょー」
「アハハハ。んじゃねーキャシー、お幸せにー」
 女たちは去っていた。
 わたしは立ちつくし、手のなかに取り残されたペンダントを見つめていた。
 彼がこれをつけなくなったのは、いつのことだったろう?
 首、キツイんだよ。
 問いただしたらそんなこと言ってたけど。太ったから、そうなんだろうな、って思ってたけど。
 ほんとうは、ただつけるのが嫌だっただけ?
 今日の待ち合わせ時刻は、何時だったっけ?
 ……12時。
 …………。
 浮気のことは、しかたないと思っていた。
 男の人って、そういう生き物だと割り切っていた。
 でも……そうじゃなかった?
 ほんとうは、ただわたしのことが――
「ダメよ」わたしはつぶやいた。「ダメよ、キャシー。あなたが信じてあげなくて、他の誰が彼を信じるというの。信じなくちゃ。愛した人なんだから」
 冷たい夜風が、街を通り過ぎていく。
 わたしは自分の肩を抱いた。誰かの腕に期待することは、もうできないのだ。


 あれから数か月が経った。
 わたしはまた、夜のダウンタウンを歩いている。あの日からずっと、ひとりで歩いてきた道だ。
 でも今日はひとりじゃない。
 そう、もどってきたのだ。わたしの愛した人が。ついに、あるべき姿をとりもどしたのだ。
「よくがんばったわね。大成功じゃない、ダイエット。肌ももとどおり、白くてきれいになったし……」
 わたしの背中で、彼はにっこり笑ってうなずいた。背負う方と背負われる方が逆だけど、今日はさすがにしかたがないと思う。久々の運動はこたえるのだろう。もう少し、広い穴にしておけばよかったな。今度からは気をつけよう。……なんてね、もう次回なんてないと思うけど。
「あ、キャシー?」
呼ぶ声に足を止め、顔を上げると、道の先に例の女たちがいた。
「今日もおひとりさまなのねー。ほんとカワイソ。ひとりっきりでそんな暗いとこに突っ立ってたら、幽霊みた――」
 そこで、しゃべっていた女は口をつぐんだ。いぶかしげな表情をして、目を細める。ようやく、彼の存在に気づいたらしい。あいつら、会うたびにわたしを馬鹿にしてきたけど、これでようやく見返せる。かならず最後に愛は勝つのだ。
 ところが、それでもまだ、女はこんなことを言う。
「あんた……背中のそれ、なに……? ……そ、そんな……まさか……」
 どうやら、てこでも事実を認めたくないらしい。自分たちに愛がないからって、往生際の悪い、情けないやつらだ。そっちがそういうつもりなら、よし、見せつけてやろうじゃないか。
 わたしは暗がりから一歩踏みだし、灯りの下に姿をさらした。
「どう、アバズレども? これでよく見えるでしょう?」
「あ……あ……」
 女たちは、餌を求める金魚みたいに口をぱくぱくさせている。滑稽だ。でもね、教えてあげる。あんたたちに足りてないのは、もっと崇高なものなのよ。
「そう、足りてないのよ、愛が、愛がね!」
 わたしが叫ぶと、女たちは悲鳴を上げて逃げていった。
「ぎゃーっ、だって。おかしいね」
 わたしは背中の彼に語りかける。返事はない。よほど疲れているらしい。
「ね、今夜」わたしはタイミングを見計らって、かねてよりあたためていたプランを持ちだす。「うちで、食べていかない? ビーフシチューつくってあるの。すっごくいいお肉なのよ」
 返事はない。
作品名:カムバック 作家名:遠野葯