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客の墓参

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 墓所に立っていた。一人である。

 夏の霊園は散歩をするのに全く不向きな場所である。墓参の道の傍らに背を覆う程に育った並木があればまだ幾分か熱さは凌げたが、目一杯を墓所に割り当てている墓の道では直接の熱気にあてられてふらふらとする。おまけに一つ一つの墓の前にある、石の窪みや湯の碗からはぼうふらが沸き立って血吸い蚊になる。ぱちりとその蚊を一つ潰してもう一度墓石に向き合う。手には蚊の吸った血のあとが滲んでいる。
 夏であったが、まだ盆の前であった。従って家々の墓に供えられている菊花の数も少ない。同じ霊園のどこかには著名な作家の墓があって、常に火のついた線香の束が絶えないという話であったが個人の墓は別である。ひっそりとしていた。今向き合っている墓の三つ向こうに菊花の刺さった花瓶があったが、日に焼かれたようにぐったりなって葉の隅が茶色く焼け焦げている。虫さされのあとを掻きながらもう一度墓の前を覗いた。墓の文字を読む。確かこの墓だったはずである。大分来ていなかったから苔生している。
 後ろから墓参ですかと聞く声が聞こえた。
「盆前なのに墓参りとはお疲れ様です」
「はあ」
 どうもと会釈して道を譲る。若い女だった。白地のワンピースにつばの大きな帽子をかぶっている。墓地花の水を切った臭いも線香の匂いもしない。まるで犬の散歩の途中にひょいと訪れたような格好だなと思いながら女の姿を眺める。偶々思い出したという点では自分も似たようなものだったが家の墓に参るという目的がある。
 道をあけたものの女は動かなかった。小首を傾げたままじっとこちらを見ている。もしかしたら迷子なのかもしれない。墓苑の作家は近頃は若い女の間でも読まれるようになったという。小綺麗な表紙にしたのが受けたそうだという。つまみのような新聞記事を今朝だったか夕べだったか読んだばかりであった。若い女かと思った。この女も若い女ということになるのだろうか。どこかで見たことがあるような気がする。けれども女の顔など化粧と着ている物次第で変わる気がするから、それを剥いでしまえばどれも同じようなものなのかもしれない。
 作家の墓ならあちらですよと指を指して教えてやると、まあ後で参りますと涼しげに答えた。そうしてまた小首を傾げる。この女に特徴があるとしたらいつも傾いているような所だろうか。それでも見覚えがあるくらいの陳腐なものだ。
「古い方ですから挨拶はして行こうと思います」
 生まれた時代が古いかどうかが一つの基準らしい。あなたは行かないのですかと女が聞いた。まあ後で参るつもりと答えると、じゃあ私と同じだと独り言を言ってご親族かなんかですか――と聞いた。
「どなたの」
「ええと、こっちのほうのお墓の」
 話の繋がりがとびとびである。
「家内の」
「家内って奥さんですか」
「そうですよ。他にありますか」
 そうです、と少々むっとして答えると、違いますとこともなげに言う声が聞こえる。
「奥さんではないですよ」
 女が言う。
「人違いです。私が誰かなんてあなた、わからないでしょ」
 はじかれたように顔を上げると女の姿は消えていた。
作品名:客の墓参 作家名:坂鴨禾火