株式会社神宮司の小規模な事件簿
見目麗しき少女はふうとため息をついていた。神宮司東一郎の愛娘神宮司都である。都は滑らかな黒髪を白魚の指で玩びくりりとした瞳を上目遣いさせてじいと目の前の男を見た。
男はほわんとした微笑みを浮かべた阿呆そうな男であった。都はつまらなそうに髪を玩び続ける。
「ねぇ貴方。」
「何ですか都さん。」
「貴方私のことどう思う?」
男は微笑んだままに答える。
「とても可愛らしい方だと思います。」
都は再びつまらなそうなため息をつく。
「そうなの。私はうんと可愛いの。何故なら父と母の娘だから。そんな可愛い私とよ。」
「はい。」
「貴方は今見合いをしているの。」
「はい。」
都はもう何度目かわからぬため息をつく。男はそんな都の様子に気付いたか気付かぬか動じぬままに微笑んでいた。
「父が最近」
都は唐突に話始める。肘つき長い睫毛をぱしぱしと微かなる音たてさせながら瞬き二つ。
「おかしいの。」
「はい。」
「でも何故おかしいのか誰もわからないの。多分おじいさまも気付いてらっしゃらないと思うわ。あの可笑しな部長さん課長さんたちだって本当の原因なんてご存知無いと思うのよ。都以外の、だあれもね。」
都はそこまで言うと脇にのけてあったエスプレッソをくいと一口飲んだ。映画の様な空気がそこにはあった。男は幼子を見るかの様な温かな、そして余裕ある微笑みで都を見た。
「つまり都さんは理由を知っているんだね。」
都はそこで顔を上げた。この様なものの言い方をする者が阿呆な訳がないからだ。都は途端つまらなくなった。都は本当の所可愛げのある阿呆な男が好きだったからである。
つまり今までのため息は非常にわかりにくい愛のため息だったのだ。しかし今の都にはもう目の前で微笑む男は何処にでもいるつまらぬ男でしかなかった。
「あなたつまらないわ。」
都は恐ろしく冷淡で恐ろしく甘美に言い放つ。ところが男はテーブルに備えてあった布巾とスパゲティーでペンギンのぬいぐるみなぞを作り始めていた。それはそれはなかなかの出来ばえであった。冷やかな瞳で見下ろす都に男はたった一言はなってにかっと笑った。
「鳥。」
都は上げかけた腰を下ろした。
「…鳥がお好きなの?」
「美味しいですよね。砂肝とか。」
「あなた鷹匠でしょ。」
都はけたけたと笑い声を上げる。
都は本当の所面白い…つまり変な…人間を非常に好んだからである。
「今度都さんにも砂肝を焼いて持ってきますね。」
「それはどうも。…ね、何だとお思い?」
「何がでしょう?」
都はにやりと微笑む。それはそれは祖母と父にそっくりな微笑み方であった。
「…お父様、天下の神宮司東一郎社長の不調の理由よ。」
「健康上の理由では無いのですね?」
「えぇ。」
男はふむと曲げた指を顎にあて考える姿勢をとった。都はにまにまとその様子を見つめる。男はフッと微笑んだ。
「じゃあ恋煩いだ。」
「お父様は一応妻がいるのよ。」
「妻に恋してる。」
都は目をパッと見開いた。その一瞬で花が舞う。都が柔らかく微笑む。一斉に開花する。
「正解。」
都はフフと呟いた。
「お母様をね、怒らせたのよ。泣く子も黙る天下の神宮司社長も奥さんには敵わないの。」
「そんな大変な喧嘩をなさったのですか。」
「えぇ。もう随分前よ。あぁ、その前にお父様とお母様について簡単にお話しして差し上げなくてはね。…母様は某サーカス団員に所属してる道化師なの。たまたまお父様が公園で大福を食べてる時に一輪車で暴走していたお母様がぶつかってきたの。それが二人のなりそめらしいわ。ロマンティックでしょう?」
彼はにこにこと微笑みながら黙って話を聞いている。
「…お母様はとても可愛らしい方なの。実の母親に可愛らしいなんて、可笑しいと思われるかしら?でも本当なのよ。肌は白く柔らかくほんのりと桃色に染まっていてね、瞳は小鳥みたいにくりっとしているの。小柄なせいか身のこなしがとても軽いのよ。そしてね、話し方がとんでもなくおっとりとしてるの。そうね…貴方に近いかしら。」
男はにこにこと口を開く。
「ありがとう。」
「何でお礼を言うのよ。」
都はそれはそれは美しく、深紅の薔薇の様な唇を広げて微笑んだ。それを見た男は相変わらずにこにこと、幸せそうな表情を浮かべていた。
「…きっかけはね、海老ドリアだったの。お母様は海老ドリアが大好物なのよ。そしてお父様は海老が大好きなの。ある日のことだった。お母様が一輪車に乗りながらみたらし団子を食べていたの。そしてカーブを曲がった時、団子のタレがお父様のネクタイについてしまった。悲しんだお父様はついついお母様の海老ドリアの海老を残らず平らげてしまったの。お母様はそれはもうしょげかえっていたわ。さて海老ドリアを食べようと思ったらただのドリアになっているんですもの。」
「それで大喧嘩に…。」
「まだよ。これは始まりにすぎないわ。」
都はさも愉快そうな顔付きで唇を舐めた。
「お母様は大層おっとりしているの。ちょっとやそっとじゃあんなには怒らないわ。…その一週間後のことよ。お母様が玉の上で逆立ちをしながら卵焼きを焼いていたの。お母様はお料理がとっても下手くそだからお父様に任せておけばいいのに、突然卵焼きが食べたくなってしまったのよ。仕事から帰ってきて異臭に気付いたお父様は慌てて止めに入ったのだけどね、卵焼きがそのお父様に向かってそれはそれは愉快に飛んでいったの。卵焼きはお父様お気に入りの皮のバッグに油染みをつけたわ。お父様はショックのあまり、突発的に母の玉乗り用の玉に油性ペンでジャン・レノとジョン・レノンとハリー・ポッターの似顔絵を描いてしまったの。お母様が丸眼鏡が似合わないのを気にしてるの知ってて描いたのよ。…これにはさすがのお母様もカンカンになってしまったっわ。…そんなわけでもうずぅっと喧嘩中なのよ。」
都嬢は人に話せたことでほっとしたのか、深いため息をついた。男はふにふにとした大きな口を悩ましげに歪ました。
「都さんは大丈夫ですか?」
都は瞳を上げる。
「…何がかしら?」
「愉快だけれど、心配の気持ちも半分なのですよね?」
「…」
都は顔を赤らめた。男はふわりと包み込む様な笑みを浮かべ都嬢の頭を撫でた。
「作戦を、考えましょうか。」
作品名:株式会社神宮司の小規模な事件簿 作家名:川口暁