あめふり
雨の日の夜のことだ。私は酒の残り香に誘われ夢から現へと舞い戻ることになった。
――飲み過ぎた。調子に乗ってウィスキーのロックなぞ煽るからだ。私は麦茶で食道にへばり付く毒気を飲み下す。それでも胸を焼く油とアルコールの匂いは消え去らない。
仕方がないので、再び寝床に戻る。そして、雨音などを耳に、うつらうつらと夢現を行き帰するのだ。
ふと、雨音の中にぴちゃん、ぴちゃんと足音が聞こえてきた。まるで童子が水たまりで遊ぶような足音だ。ただ、その足音は韻を踏んでいるようで、寝耳に耳障りであるのに、不思議と心までざわつくことはなかった。
――これは好奇心の類だ。好奇心は猫を殺す。私はそう片を付けると、再び現から夢へと堕ちてゆく。
先ほどの足音が脳髄に刻まれてしまったのか、雨合羽を着た童子が水たまりで遊び回る夢を見る。
童子は雨霧の中に消えてゆく。なんだろうか、そちらに何があるのだろうか?
私はその童子を追いかけ、雨霧の中を彷徨う。あっちでぴちゃぴちゃ、こっちでぴちゃぴちゃ。雨音と足音、そして雨霧は私の方向感覚を次第に狂わせてゆく。
どうせ夢の中だからと、私は歩き回る。酒の後酔いに絆されて、私は雨霧の中を歩いてゆくのだ。
――おいでおいでとわらしべ歌が聞こえてくる。蛇の目傘が雨霧の向こうにちらりと映る。
そういえば、ここはどこだろうか? 私はぼぅっとした頭で考える。どうせ夢の中なのだからと調子に乗って歩き過ぎた。そろそろ戻らなくてはならない。直に朝だ。明日も仕事があるのだ。
しかし、道を引き返そうにも、どの方向に向かえばよいのか分からない。まあ、何。夢なのだから、覚めようと思えば覚めるモノだ。
そう思うモノの、何故か一向にこの雨霧を抜け出すことができない。歩けど歩けど霧は晴れない。
振り返ると、そこには蛇の目傘がこちらを見ていた。
わらしべ歌がどんどん大きくなってきた。蛇の目傘がこちらをジィっと見つめている。
ふと、有名なあの歌詞が頭を過る。北原白秋作詞、中山晋平作曲の有名な童謡、あめふり。その一番。
「――蛇の目でお迎え、嬉しいな」
まさか、そんな訳がない。そんな厭な意味があの歌詞に隠されているわけがない。あれはただの童謡だ。かごめかごめやとおりゃんせのような都市伝説があるわけがないのだ。
なのに、あの蛇の目傘も相成り、その歌詞が嫌に頭を過る。
振り返ると、蛇の目傘が先ほどよりもこちらに近付いていた。
私は脇目も振らずに走り出した。行き先なんてどうでもいい。とにかくあの蛇の目傘から逃げなくてはならない。
アレはよくない。よくないモノだ。死神の類によく似ている。私を『迎え』に来たのだ。
走れど走れど、アレは遠のく気配がない。いや、それどころか気配は少しずつ濃くなっている。振り向かない。振り向いたら心が折れる。だけれど厭な気配だけは一刻一刻と強くなってゆく。
その気配が背後まで来た時だった。私はふと現に再び浮上した。
アレはなんだったんだ? いや、ただの夢だ。厭な夢だ。悪夢なのだ。
私は身体を起こして窓の外へと眼をやる。
すると、そこには尻尾が二本生えた猫が座っていた。猫は悔しそうに一度、「にゃー」と泣き、その場を離れた。
私は寒気がした。