狐の嫁入り。
「――主様。誠に申し訳ありません。たまが、たまが未熟故、玉藻様の婚礼の用意が間に合いませんでした」
その静寂を破ったのは、さっきから私を引っ張っていた子狐だった。
子狐はびくびくした様子でおそるおそる言った。
「――良い。彼女が来ているのは人間でいうところの制服、正装じゃろうて」
優しく凛々しい声が響いた。
「さて、玉藻。久しぶりじゃの。私を覚えているか?」
「え…?」
その声は、行列の先頭に居た誰かから発せられていたことに気付く。
衣をとり、姿を現したのは――どこか見覚えのある綺麗な男の人で。
その頭には獣の耳、そして背からは九つの尻尾が生えているのが見えた。
「お主、明日誕生日じゃろう? 約束通り、迎えに来たぞ」
柔らかく微笑んだ男の人、見覚えはあるのに、出てこない。
「…玉藻、お前知り合いか?」
裕也が小さく訪ねてきた。
「――多分、私…知ってる気が」
「嗚呼、やはり忘れてしまったのか。仕様のないことだ。もう十年も前になるからの――」
(十年前…?)
「我が名は――そうだな、お主ら人間が呼ぶところの天狐でいいだろう。
玉藻、迎えに来た。さぁ、婚儀を始めようではないか」
朧げな記憶がゆっくりと私の中でよみがえってきた。
「あ、あなた――あの」
思い出されたのは十年前の記憶。
「迷子になった時に――助けてくれた…」
山の中で天気雨に合い、迷子になった私を助けてくれた男の人。
そして「狐の嫁入り」について、教えてくれた人。
「思い出したか、私は嬉しいぞ」
笑みを深めた男の人は、そのままくい、と手招きする。
すると、私の体が宙に浮いて、その男の人の元へと移動した。男の人は私を受け止める。
「玉藻!」
気がつけば裕也が叫んでいた。
「お前! なんだよ、玉藻を返せ!」
「おや、あれはなんだ玉藻。主の友達か?」
「え…はい…」
まじまじと近い位置で顔を見つめられたまま問われ、答えるのに一瞬戸惑う。
「ふむ、ならいたしかたないの。彼奴は捨て置け。玉藻の友人らしい」
くくくと笑う男の人。
「のう友人、しばし玉藻を借りるぞ。なに、もう二度と帰さんと言うわけではないから安心するが良い」
そう言って、男の人は私を抱いたまま踵を返す。
当の私はなんとなく頭がぼんやりしていて、考えがまとまらない、追いつかない。
気がつけば行列は男の人と私を先頭にして踵を返して進みだす。
(――え、何これ)
そしてようやく、事態を把握することができた。
「玉藻っ!」
(私――攫われてる?)
裕也の声が、どこか遠く聞こえた気がして、声の方向を見れば、霞がかかったようでほとんど裕也の姿が見えなくて。
「――え?」
私のそんな疑問の声は、男の人の笑顔と鳴り響く楽器の音に塗りつぶされた。