噂話
噂話を、聞いたことがある。
踏切に、女の子の幽霊が出る。
その子は誰かに突き飛ばされて、電車に轢かれて死んでしまったのだ。
その子は今でも犯人を捜していて、自分が死んだ時間に踏切に立っている人間を、
線路の中に引きずり込んで殺してしまうのだという。
馬鹿馬鹿しい。
その噂話を聞いた美弥は、そんな感想しか抱かなかった。
踏切事故なんて、いくらでもあるだろう。
それは故意だったり、不幸な偶然が重なってしまった事故だったり、不注意だったりするのだろうけど、
その原因を死んだ人間に求めるなんて、馬鹿げているし不条理だ。
その噂がある踏切は、美弥がいつも通る道に存在するけれども、そこで事故が起きるなんて、滅多に無い。
それなのに、幽霊が出る、あまつさえ殺されるという噂が立てられているのはどういうことだ。
美弥は、怪談話が苦手な娘だった。怖いから、気味が悪いからという理由もあるが、そもそも理解できないのだ。
誰かの呪いだのなんだのと、死んだ人間に責任を押し付けるような無責任さを感じるのである。
だから、美弥はその踏切の噂を信じない。
事実、夜中に肝試しの類で小学生だか中学生だかが、カメラ片手に踏切までやってくるが、存在しない女の子なんて写ったことがない。
大抵、勝手に怖がって自分たちだけで盛り上がって騒ぐか、帰宅途中のOLに異常に反応して走り出すかのどれかである。
そんな光景を見るたび、美弥はため息を吐きたくなるのだ。結局のところ、彼らは騒ぎたいだけなのだろう。女の子に祟られるなんて思っていないからこそ、肝試しと称して集まるのだ。
同時に、本当にそんな事故が起きれば面白いとすら思っているのではないかと勘ぐりたくなる。
彼らの馬鹿騒ぎにうんざりしながら、そんな思考を巡らせるのだ。
騒いでいる彼らには、付近の住民の迷惑などお構いなしなのだろう。
だから、その日、美弥が踏切の前に立っている少女を見たときも、いつもの肝試しの類なのだと思った。
しかし、同時に少し様子がおかしいことにも気付く。
肝試しは、大勢でわいわい騒ぐための行事だと、美弥は理解している。
それなのに、目の前の少女は一人きりだ。深夜の町並みは静まり返っていて、離れたところに仲間が屯しているようにも思えない。
もう、かれこれ30分ほど経つだろうか。
その少女が踏切に立ってから、二度目の赤い警告灯が点滅を始めた。
同時に、いつもの煩い警告音が鳴り響く。
その音と毒々しい赤い光を浴びている少女の顔が、徐々に思いつめたものに変化している気がする。
遮断機が降りきりそうな瞬間、足を踏み出した少女を見かねて、美弥は声をかけた。
「ねえ、ちょっと。危ないよ」
そう声をかけると、少女は大げさなほどびくりと震えて、こちらを振り返った。
どうやら、美弥の存在に気付かないほど思いつめていたらしい。
「えっ…?」
「え、じゃないでしょ。もう踏切閉まってるのに、渡ろうとしちゃだめだよ」
その少女がしようとしていたことにはあえて触れず、極当たり前の注意をすると、ますます驚いたような表情をされた。
口が動いているから、何か言っているのかもしれないが、生憎電車が通り過ぎる轟音にかき消されて、まったく聞こえない。
「ほら、もう踏切開いたから。渡るなら早くしなよ」
「あ、あの、私、そうじゃなくて、あの・・・」
一体何を否定しているのか分からないが、とにかく混乱しているらしい。まあ、いきなり見知らぬ人に声をかけられたら驚くのも当然だろう。
「あのね、踏切事故って、後片付けがすごく大変らしいよ。迷惑もかかるし、危ないことはしちゃだめだよ」
そう言いながら、少女の顔を覗き込む。大人しそうな、地味な印象の子だ。
これで眼鏡と三つ編みならば、典型的な文学少女といった外見だ。
「あ、あの、ごめんなさい、その、私・・・」
おどおどと謝るが、別に彼女に謝られるようなことはしていない。
「まあ、何もなかったからいいけど。ここで事故なんて起きるとね、まず警察とか救急車が来て、大騒ぎになるの。この時間にそんな騒ぎになると、寝ている人も起きちゃうし、野次馬も一杯来るし、電車に乗ってる人は、急停車で大迷惑だよ。だから、駄目だよ」
彼女の意図にはあえて触れずに、万が一の時の問題点を羅列してやる。
呆然としていた少女は、しばらく考えていたが、やがて、泣き出してしまった。
泣きながら彼女が語った内容によれば、転校した学校で馴染めず、苛められているのだという。
両親には相談できず、思いつめて、自殺しようとしたのだと言った。
正直、美弥には関係ない話だ。それを語られたところで、美弥には何もできない。
とはいえ、彼女はずっと溜め込んでいた言葉を吐き出してすっきりしたのか、しゃくりあげながらも謝った。
「ごめんなさい、私、どうかしてました。死んだら、楽になるって、そう、思って、」
「うん、大丈夫。誰にも言わないよ。とりあえず、もう遅いから、早く家に帰って寝たほうがいいよ」
そういうと、彼女はしきりに謝罪と感謝を繰り返しながら、踏切を渡って立ち去っていった。
別に、謝罪されるようなことも、感謝されるようなこともした覚えはないのだが。
それでも、自分の一言で、とりあえず一人の人命と、周辺住民の安眠は守られたのだと解釈することにした。
そう考えると、あの踏切の幽霊の噂も、あながち間違いではないのかもしれない。
噂では踏切に人を引きずりこんで殺してしまうという話だが、それが逆転しただけだ。
もっとも、幽霊に生死が左右されるなんて、人間の一生とはあまり大したことは無いのかもしれないと思うが。
そんなことを考えながら、再び降りた遮断機を見つめる。もう、終電の時間だ。
流石にもう踏切待ちの人はいない。無人の踏切が道路のこちら側と向こう側を分け、その間を轟音を立てて電車が通り過ぎる。
いつもの光景を眺めながら、先ほどの少女のことを考える。
彼女は、明日からまた、学校で傷つけられるのだろう。そして、もう一度、この踏切に来るのかもしれない。
そうすれば、ひょっとすると、あの踏切の噂も本当になるのかもしれない。
彼女を直接突き飛ばす人間はいないけれど、踏み切りに立つ彼女の背を押すのは、間違いなく苛めた人間たちだ。
それは、つまり彼女は苛めた人たちに殺されたと言うことに他ならない。
死んだ人間と、殺した人間。そして踏切。その三つで、あの噂はやっと真実になるのだろう。
もっとも、今はまだ、ただの無責任な噂なのである。
踏切で死んだと言われている女の子は、実は踏切の直前で車に轢かれただけで、電車に轢かれたわけではない。
あの噂は、本来、轢き逃げ事故であるべきなのだ。
美弥はそう思いながら、もうすっかり車通りの絶えた道路を眺める。
そもそも、あの噂は穴だらけだ。犯人の顔を覚えていなければ、探しようが無い。自分が死んだ時間にそこにいる人間を殺したって、なんの意味もないじゃないか。
それでも、自分がまだこの場所に立っているのは。
きっと、まだ許せないと思っている自分がいるからで。
だから、美弥はそこに立ち続ける。
踏切に、女の子の幽霊が出る。
その子は誰かに突き飛ばされて、電車に轢かれて死んでしまったのだ。
その子は今でも犯人を捜していて、自分が死んだ時間に踏切に立っている人間を、
線路の中に引きずり込んで殺してしまうのだという。
馬鹿馬鹿しい。
その噂話を聞いた美弥は、そんな感想しか抱かなかった。
踏切事故なんて、いくらでもあるだろう。
それは故意だったり、不幸な偶然が重なってしまった事故だったり、不注意だったりするのだろうけど、
その原因を死んだ人間に求めるなんて、馬鹿げているし不条理だ。
その噂がある踏切は、美弥がいつも通る道に存在するけれども、そこで事故が起きるなんて、滅多に無い。
それなのに、幽霊が出る、あまつさえ殺されるという噂が立てられているのはどういうことだ。
美弥は、怪談話が苦手な娘だった。怖いから、気味が悪いからという理由もあるが、そもそも理解できないのだ。
誰かの呪いだのなんだのと、死んだ人間に責任を押し付けるような無責任さを感じるのである。
だから、美弥はその踏切の噂を信じない。
事実、夜中に肝試しの類で小学生だか中学生だかが、カメラ片手に踏切までやってくるが、存在しない女の子なんて写ったことがない。
大抵、勝手に怖がって自分たちだけで盛り上がって騒ぐか、帰宅途中のOLに異常に反応して走り出すかのどれかである。
そんな光景を見るたび、美弥はため息を吐きたくなるのだ。結局のところ、彼らは騒ぎたいだけなのだろう。女の子に祟られるなんて思っていないからこそ、肝試しと称して集まるのだ。
同時に、本当にそんな事故が起きれば面白いとすら思っているのではないかと勘ぐりたくなる。
彼らの馬鹿騒ぎにうんざりしながら、そんな思考を巡らせるのだ。
騒いでいる彼らには、付近の住民の迷惑などお構いなしなのだろう。
だから、その日、美弥が踏切の前に立っている少女を見たときも、いつもの肝試しの類なのだと思った。
しかし、同時に少し様子がおかしいことにも気付く。
肝試しは、大勢でわいわい騒ぐための行事だと、美弥は理解している。
それなのに、目の前の少女は一人きりだ。深夜の町並みは静まり返っていて、離れたところに仲間が屯しているようにも思えない。
もう、かれこれ30分ほど経つだろうか。
その少女が踏切に立ってから、二度目の赤い警告灯が点滅を始めた。
同時に、いつもの煩い警告音が鳴り響く。
その音と毒々しい赤い光を浴びている少女の顔が、徐々に思いつめたものに変化している気がする。
遮断機が降りきりそうな瞬間、足を踏み出した少女を見かねて、美弥は声をかけた。
「ねえ、ちょっと。危ないよ」
そう声をかけると、少女は大げさなほどびくりと震えて、こちらを振り返った。
どうやら、美弥の存在に気付かないほど思いつめていたらしい。
「えっ…?」
「え、じゃないでしょ。もう踏切閉まってるのに、渡ろうとしちゃだめだよ」
その少女がしようとしていたことにはあえて触れず、極当たり前の注意をすると、ますます驚いたような表情をされた。
口が動いているから、何か言っているのかもしれないが、生憎電車が通り過ぎる轟音にかき消されて、まったく聞こえない。
「ほら、もう踏切開いたから。渡るなら早くしなよ」
「あ、あの、私、そうじゃなくて、あの・・・」
一体何を否定しているのか分からないが、とにかく混乱しているらしい。まあ、いきなり見知らぬ人に声をかけられたら驚くのも当然だろう。
「あのね、踏切事故って、後片付けがすごく大変らしいよ。迷惑もかかるし、危ないことはしちゃだめだよ」
そう言いながら、少女の顔を覗き込む。大人しそうな、地味な印象の子だ。
これで眼鏡と三つ編みならば、典型的な文学少女といった外見だ。
「あ、あの、ごめんなさい、その、私・・・」
おどおどと謝るが、別に彼女に謝られるようなことはしていない。
「まあ、何もなかったからいいけど。ここで事故なんて起きるとね、まず警察とか救急車が来て、大騒ぎになるの。この時間にそんな騒ぎになると、寝ている人も起きちゃうし、野次馬も一杯来るし、電車に乗ってる人は、急停車で大迷惑だよ。だから、駄目だよ」
彼女の意図にはあえて触れずに、万が一の時の問題点を羅列してやる。
呆然としていた少女は、しばらく考えていたが、やがて、泣き出してしまった。
泣きながら彼女が語った内容によれば、転校した学校で馴染めず、苛められているのだという。
両親には相談できず、思いつめて、自殺しようとしたのだと言った。
正直、美弥には関係ない話だ。それを語られたところで、美弥には何もできない。
とはいえ、彼女はずっと溜め込んでいた言葉を吐き出してすっきりしたのか、しゃくりあげながらも謝った。
「ごめんなさい、私、どうかしてました。死んだら、楽になるって、そう、思って、」
「うん、大丈夫。誰にも言わないよ。とりあえず、もう遅いから、早く家に帰って寝たほうがいいよ」
そういうと、彼女はしきりに謝罪と感謝を繰り返しながら、踏切を渡って立ち去っていった。
別に、謝罪されるようなことも、感謝されるようなこともした覚えはないのだが。
それでも、自分の一言で、とりあえず一人の人命と、周辺住民の安眠は守られたのだと解釈することにした。
そう考えると、あの踏切の幽霊の噂も、あながち間違いではないのかもしれない。
噂では踏切に人を引きずりこんで殺してしまうという話だが、それが逆転しただけだ。
もっとも、幽霊に生死が左右されるなんて、人間の一生とはあまり大したことは無いのかもしれないと思うが。
そんなことを考えながら、再び降りた遮断機を見つめる。もう、終電の時間だ。
流石にもう踏切待ちの人はいない。無人の踏切が道路のこちら側と向こう側を分け、その間を轟音を立てて電車が通り過ぎる。
いつもの光景を眺めながら、先ほどの少女のことを考える。
彼女は、明日からまた、学校で傷つけられるのだろう。そして、もう一度、この踏切に来るのかもしれない。
そうすれば、ひょっとすると、あの踏切の噂も本当になるのかもしれない。
彼女を直接突き飛ばす人間はいないけれど、踏み切りに立つ彼女の背を押すのは、間違いなく苛めた人間たちだ。
それは、つまり彼女は苛めた人たちに殺されたと言うことに他ならない。
死んだ人間と、殺した人間。そして踏切。その三つで、あの噂はやっと真実になるのだろう。
もっとも、今はまだ、ただの無責任な噂なのである。
踏切で死んだと言われている女の子は、実は踏切の直前で車に轢かれただけで、電車に轢かれたわけではない。
あの噂は、本来、轢き逃げ事故であるべきなのだ。
美弥はそう思いながら、もうすっかり車通りの絶えた道路を眺める。
そもそも、あの噂は穴だらけだ。犯人の顔を覚えていなければ、探しようが無い。自分が死んだ時間にそこにいる人間を殺したって、なんの意味もないじゃないか。
それでも、自分がまだこの場所に立っているのは。
きっと、まだ許せないと思っている自分がいるからで。
だから、美弥はそこに立ち続ける。