SNOW IMAGE
降り続く雨は終わりを僕に連想させた。
「どうせなら、雪が降ればいいのに」
雪は彼女のイメージ。
外気の寒さに負けたコーヒーは手元で頼りなく熱を放ち、冷めて張りを失ったアップルパイは横たわって、曇ったガラスにぼやけた影を映す。
アーケードを見下ろせるこの場所から、行きかう人の中に彼女の姿を探していた。有象無象の中に黄色いマフラーを探して。
「三年経った今日、この時間、この店で会おうよ。このマフラー巻いていくから」
十七になったばかりのレウは、イギリスへ行ってしまうことをここで僕に告げた。丁度三年前の同じ日、同じ時間の上で。
もちろん突然のことに驚いたが、彼女は夢に向かって走りたいと言った。反対なんてできなかった。ただそっと、「しっかりな」と言葉をかけて見送った。
今になって僕は、その時に「待っててやる」と言えなかったことを後悔している。けれど、その時の僕にレウを繋ぎとめておけるだけの理由や、自信と呼べるものは持ち合わせていなかった。
ただ怖かった。待ってる、という言葉がどう彼女に影響するのかが。
暖房の行き届いた店内なのに、窓から伝わる冷ややかな空気が気になった。
弾んだ人の声の中でいる僕は、この場所において異端なのではないかと、静かに息を吐いた。
レウが旅立った日から、僕は何通かのメールを送り、何度か電話でレウと言葉を交わした。
けれど、彼女からのメールは日毎に減り、電話も短い時間しか彼女は使えない。それから一年もしない内に、どちらも途絶えた。
レウは今自分のやりたいことを必死にやっている。僕一人寂しく思ったからといって彼女に迷惑をかけるわけにはいかない。レウの時間は彼女自身のものなのだから。
メールを送っても返ってこない。電話をかけても出ない。でもそれはレウが今を精一杯生きているから。そう自分に言い聞かせて日々をすごした。
その時から僕は、心のどこかで自分自身に問いかけ始めていた。「お前はレウにとってどんな人間なんだ?」と。
蒸気で白く暈された窓は闇色に染められて、時刻はもうすでに約束の時間をとっくに過ぎている。
雨はまだ止まない。けど、人は絶えることなく、寄り添うように歩いている。
ぎゅうっと心臓を荒縄で縛られている感覚。その光景から目を逸らした。
無意識にカップに手が伸びる。あおった温い液体が不快にのどを滑り落ちる。
――まずい紅茶だ。
ため息をついてカップを元に戻す。僅かに残った紅茶の色は、ほとんどカップの色と変わらない。薄い色で、向こう側がはっきり見えてしまう程透明に近い。
レウがいなくなってから彩色を無くした生活。それに重なる様な、色の無い色。
学校での人付き合いも、
遊ぶことも、
学ぶことも、
笑うことも怒ることも悲しむことも楽しむことも、レウが隣にいてくれたから意味を見いだせただけで、僕一人ではどんな色もつけることができない。
いつしか、僕の見ている何気ない景色は、窓の外の暗色と灰褐色と変わりなかった。
転がり落ちる僕は、壊れかける何かを繋ぐため、いろいろなモノに依存した。
不良の真似事をしてみたり、物を集めてみたり、あてもなくふらりと旅してみたり、試せることは全部試してみた。
けれどそれは、自分の死期を上手く遅らせている様なもの。痛みだけは誤魔化せない。どんなに自分を騙そうとしても、薬が効かなくなっていくように、僕は少しずつ削れていった。
身体の異常と心の異常を行ったり来たりしながら、マトモな人間のフリをしたまま今日を向かえた。
周りの笑い声が耳に障る。鼓膜をアイスピックで貫いたほうがましなほど、その声は柔らかく突きぬけていく。
叫んでしまいそうな口を塞ぐために、フライドポテトを無理矢理詰め込む。噛みしめられる限界手前まで。
「ああ、くそっ。腹立つ」
レウは約束の時間には来なかった。結局、僕の独りよがりだったのかと、何度も自分の中の誰かに尋ねて。虚しく、ただ独りそこに座っていた。
僕がレウに裏切られたとは思わない。自然消滅したか、選ばれなかっただけだと、そう言い聞かせていた。
「ホント、腹立つ」
そう言いながら、向かいの席のハンバーガーを略奪。包みを解いてかぶりつく。
次、ポテト。次、コーヒー。次、チキンナゲット。向かい側のトレイのファーストフードを奪っては喰らい尽くしていった。
「あの……ユウ、怒ってる?」
向かいから怯えた声。
「怒ってなんかない。これっっっぽっちも」
ハンバーガーを平らげ、ポテトを食らいつくし、一つ残らずチキンナゲットを処分してから自分のアップルパイに取り掛かる。
「うぅ、やっぱり怒ってるじゃない。って、私の晩ごはんっ」
マジ泣きしそうになっている彼女の、黄色いマフラーを見ているとまた胸の奥底がムカムカとしてくる。
「レウ、今度はチーズバーガーとポテト(L)とコーラ(L)とアップルパイ三つほど買ってこい。お前の金で」
「お、お願い勘弁してよ! 本当にごめんってば。時間に遅れたことも、メールも電話もできなかったことも謝るから」
両手で拝み倒そうとするレウ。別に僕は怒ってなどいない。
「ああ、それは違う」
「えっ?」
「お前の顔見てたら、何故かそうしたくなった」
「ひ、ひどっ!」
断じて怒ってなどいない。僕はただ、まともにレウと会話する方法がないだけだ。
「ねえ」
「ん?」
いつの間にかレウが僕の顔を覗き込んでいる。必要以上に顔が近い。
無意識のまま身体を引いて、視線は窓の外へ。
「ユウ、私と会ってからずっと窓のほうばかり見てる。もう私の顔なんか見たくないの?」
「むっ」
レウは真っ直ぐこちらの目を覗き込んでくる。
それに耐えられないから僕は、目を逸らしたままでいた。
「ほら、また」
「いや、別に」
「別に、何?」
その先を言えるわけがない。待ち焦がれて、遅れながらもやってきたお前を一目見て、この三年の間に綺麗になったなんて、
こっ恥ずかしくて言えるわけがないのだから。
作品名:SNOW IMAGE 作家名:風鈴花山