<待ち人達の夕暮れ>
ある七月の雨の夕暮れ。
待ち合わせの人もまばらな渋谷の駅前で二人連れの男が傘の下、ソワソワと落ち着かない素振りで立ち話をしていた。
「オリケンの奴、待たせやがって。何やってんだ?」
二人連れの片割れ、メガネの方の男が舌打ちをした。
太った方の男はキョロキョロと当たりを見回すばかりだ。
二人が落ち着かないのは、待ち合わせ相手のオリケンが来ないのもあるが、それより気になって仕方が無いのは傍らに、いわゆる絶世の美女がひとりで立っていたからであった。
女も随分待っているのか落ち着かない様子である。
そこで、二人の男の片割れが声を掛けた。
「待ち合わせの人、来ないみたいですねぇ? どうです、待ちぼうけ同士、飲みにでも行きませんか?」
女は二人の男にチラリと一瞥をくれ、直ぐに視線を元に戻した。
「お気持ちは有りがたいのですが、夫はもうすぐ来ると思いますので構わないで戴けませんか」
丁寧ではあるが、その冷たい口調には二の句を継がせない何かを包含していた。
仕方なく男達はまたボソボソと話し始めた。
「なんだダンナ待ちだってよ。だったらこんな場所じゃなくて家で待ちあわせすれば良いのにな?」
太った方はそれでもチラチラと女の方を窺っている。
「ああ、でも惜しいよな。あんな美人は芸能人にだって滅多にいないぜ」
メガネの方は視線を向けたままだ。
*
その時、少し慌てた様子で一人の男が女のもとに走って来た。
その男も女と同じくかなりの美男子である。芸能界にでも入ればスターになるのは確実であろう。
「やあベガ! ゴメンよ、待たせてしまったかい?」
「ひどいわアル! あたし随分待ったのよ」
どうやら二人の名前は女がベガ、男はアルというらしい。
外国人とも思えない二人がそう呼び合う事に、男の二人連れは益々興味をそそられた。
「ホントにゴメンよ。今日は風向きが悪くてさ、君のところよりも雲が掛かるのが遅くなってしまったのさ」
「そうね、雲の動きは見ていたからあたしも分かってる。ごめんなさい」
男達は痴話げんかでも始まるのかと期待して見ていたが、あっさりと仲直りしてしまったので落胆の色を隠せない。
「貴方が中々来ないので、あたし嫌われたかと思ったの。振られたように見えたのかしら、他の男の子に声を掛けられたわ。もちろん断ったけど――」
「ああ、一年に一度しか逢えないなんて神様はなんて無慈悲な事をなさったんでしょう!?」
ここへ来てようやく男達は気が付いた。
「おい、一年に一度だって……? それにベガとアルってもしや――」
「ベガ。嫌うだなんてとんでもない! このアルタイルの愛は永遠に君だけのモノだよ」
隣の男達はもはや二人の会話に釘付けになっている。
*
「ああ、しかもこうして星の見えない七月七日にしか逢えないなんて……」
女は落胆に視線を落とした。
「まったくだ。それに何を間違えたかこの国の人々は晴れた日にこそ私たちの逢瀬が叶うと言い伝え、呪詛のチカラを以って神が雨の特異日と定めたものを覆そうとする――」
アルタイルと名乗る男も憤懣やる形無しという風情である。
「だがベガよ、君は少し間違っている。私達が一年に一度しか逢えないのは昔の事。もうかれこれ一四〇年も前にその定めからは開放されたではないか?」
「ええ、そうだったわ。でも年に二度では――。あたしは毎日でも逢いたいのよ」
ベガは涙声でアルタイルに訴えかけた。
「それはそうだがベガよ。今宵の雨は上がりそうにない。機嫌を直して短い時を有意義に過ごそうではないか。さあベガよ、どこか行きたいところでも有るかな?」
アルタイルと名乗る男は片手をベガの頬に当て優しく囁いた。
「そうだわねアル。とりあえず円山町あたりでゆっくりしましょ♪」*1
ベガははにかむ様に微笑んだ。
そして、一つの傘に入り道玄坂の方へ腕を組んで消えて行ったのだった……。
二人の男女が消えて行くのを固唾を飲んで見てた男二人であったが、後ろ姿が見えなくなった時、ようやく、まるで魔法から解けた様に話し始めた。
「おい、一年に一度じゃ無いんだってよ。じゃあ、あいつらは織姫と彦星じゃ無いんだな。ただのアホかな?」
太った方の男が呟く……。
メガネのの男は暫く考えた後、ニヤリと笑って答えた。
「イヤ、あいつらやっぱり七夕の二人に違いないよ。年に二度ってのは、旧暦に加えて新暦が出来たからさ。八月に七夕を行なう地方があるだろ」*2
「ああ、なるほど。でも、そんなに偉そうに語る程でも無いだろ」
「……」
その時、駅の方から暢気そうに声を掛けながら男が歩いて来た。
「よぉ~、キミタチィ待ったぁ?」
彼らの待ち人、オリケンこと、織川牽一がようやく来たのであった。
おわり
2003.07.07 #044
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メモ
織姫=ベガ 晩夏の夕暮に南中
牽牛=アルタイル 晩夏の中天やや南寄りに青く(彦星とも呼ばれます)
*1 渋谷区丸山町:ラブホテル街として有名らしいです
*2 新暦/旧暦
旧暦は明治5年12月2日で、終わり翌日は、新暦の明治6年 1月1日となった。
約140年前に新旧2つの暦ができたそうです。
ちなみに、新暦の七夕は梅雨が終わっておらず、又、明るい月が出ている事が多いそうです。
反対に太陰暦がベースの旧暦では梅雨が明けているのに加えて上弦の月が早めに没むので新暦よりは条件が良いそうです。
作品名:<待ち人達の夕暮れ> 作家名:郷田三郎(G3)