チョコレートとレーズン、そして水
お冷グラスがカランと泣いた。
ボクは呆然とそのグラスの音を聞いて、その人が去るのを見送る。
終わった。ボクの青春が。アデュー、ボクの初恋よ。短く甘い夢をありがとう。
三年目の恋もひと時の泡沫と消え、中学二年から高校二年までの三年の日々が、白々しく脳裏に映写される。
「そうして彼は玉砕するどころか対空砲火で撃墜。このことは以後、カフェ水飲み鳥の悲恋伝説として末長く語り継がれるのであった」
「こんな黒歴史を末長く語られ続けるなんて堪ったもんじゃねぇよっ!」
友人の三林の声が後ろの席から聞こえてきた。
いつから見ていたのだろうか。嫌な奴に見られていたようだ。
「そうかそうか。それは広め甲斐があるよ」
――この通りだ。
三林はいつもボクをこうしてからかっている。それが彼女のライフワークなのだ。
「相変わらずのドSっぷりだな……」
ボクはお冷グラスに付いた水滴を手持無沙汰になぞる。すると大粒の涙がテーブルに零れた。
「いや、まさか告白しようとした日に想い人が恋人を連れてくるなんて。恐ろしい話もあったもんだね。私、まるで青春ドラマか昼ドラ辺りを見ている気分になったよ」
後者の方だとここからが本番だな。
「というかあんた、アレは流石に高嶺の花でしょ。あんたには釣り合わないって」
三林はそうバッサリとボクのことを斬って捨てた。
「月とすっぽんどころか、月と不燃ごみでしょ」
「ボクは第二木曜の夜に回収されたりしないっ!」
それはちょっと酷過ぎではないでしょうか。
「ごめんごめん。悪かったって。本当は生ゴミだよ」
「悪臭も添加してんじゃねぇっ!」
そんな天然添加物はご免こうむる。
「何、傷ついた? なんなら慰めてあげてもいいよ、ベッドの中で……」
「……な、おま、何を」
いきなり何を言い出すんだこの女っ!
「……くふ、紅くなってやーんのっ! くははっ! どーてい君かわいーっ」
「お前……そのからかい方だけはやっちゃいけねぇんだよぉっ!」
遂に撃墜。片翼飛行で頑張っていたボクのハートも遂に海面に没したのだった。
「レーズンとチョコレートのケーキです」
そうやって三林に玩具扱いされていた頃だった。ウェイトレスのお姉さんが注文していたケーキを持ってきてくれたのだ。
「レーズン、好きなんだ……」
「あんまり。だけれど、何故かここのレーズンは食べられるんだ」
クセも味もあまり他のお店のレーズンと変わらない筈なのに、何故か他のレーズンよりもやさしい味がするのだ。
ケーキを割ると、フォークがレーズンに当たる感触を覚える。
「変なの……」
「いやさ、好きなモノに対してなんで好きなのか、って説明するのって難しいと思うんだ。それって人間に対しても言えることで」
そうのたまって、フォークで刺したレーズンを口にする。やっぱり何故か、このレーズンはボクの好みの味だ。
「まあ、三年もよくもまあ片思いしたもんだよ。そこまで来ると鬱屈してくるんじゃない?」
「五月蠅いなぁ、ほっとけよ」
そう言って、ボクはグラスの水を煽る。そういえば飲み物を頼んでいなかった。ボクは慌てて紅茶を注文した。
「でもまあ、今日のことはきっと無駄にならない。いつの日か、こんな苦い思い出も、淡くて甘酸っぱくなる日が来るんじゃない?」
そう言って、三林はボクのケーキからレーズンを拾って自分の口に放りいれた。
「――うん、やさしい味がする」
三林の言うように、この苦い日がいつか淡くて甘酸っぱい思い出になるのだろうか。確かに、それは素敵なことだ。このレーズンのようにやさしい味になればと、ボクはそう思って涙を流すグラスをそっとなぞった。
作品名:チョコレートとレーズン、そして水 作家名:最中の中