このまま、
このままでいいと思っていた。
付き合う、なんてこと、考えたことがないわけでもなかったけれど、好きになってから付き合うまでの期間や付き合い始めの頃が一番楽しいっていう話も聞いてたし。そこまでは望んでいなかった。
それは亮も同じようだった。
3月も末の日曜日、昼過ぎにいつものマックに行った。
亮は店の奥のいつもの席にいて、私の姿を見つけると、いつもみたいに手を大きく振った。私は他の客のことなんて見ずに、まっすぐに亮の元へ向かう。
「お待たせ」
「まったくだよ。待ちくたびれたよ」
「亮が急に呼びだすからいけないんじゃん」
本当は、今日亮からメールがくるのはなんとなくわかっていた。私は明日この街から出ていって、遠くの大学に通う。今日は他の友達からも最後に遊ぼうよと誘いはあったけれど、亮のために空けていたんだから。
「……最後だなぁ」
ハンバーガーのセットをふたつ頼んで、食べ始める頃に亮はしみじみと言った。
「そうだねぇ」
「唯とマック、何回来たかなあ」
「いっぱい来たね」
「いっぱい食べたな」
「いっぱい話したね」
ハンバーガー何個、ポテト何本、……亮とこの席で過ごしたのは何時間だろう。
学校帰り、塾がない日は毎日のようにこのマックに寄ってた。ドリンクだけ頼んで居座って、時にはそのまま夕食にハンバーガーも食べて。学校から一緒に来るときもあったけど、そうじゃないときもあった。そういうときはたいてい亮が先に来て、この席をとって待っていてくれてた。それでさっきみたいに手を振って私を笑顔で迎えてくれる、その瞬間が好きだった。
あたりが真っ暗になるまで勉強したり、時には問題集放って語り合ったり。家族の話、友達の話、進路の話、いろいろ。でも、恋愛の話だけはしたことがなかった。
「最初にマック来た時って、いつだったかな」
「覚えてない? 亮がCD貸してくれって。家の近くだし、今から行くよって言って」
「あぁ、あのときも俺が急にメールしたんだっけ」
高校に入って、最初に話したのは、音楽の話だったかな。好きなバンドが一緒で、そこから意気投合して。中学は違うけれど、私たちの家は近かった。その中間に位置するマックで、よく新作のCDの貸し借りしてた。休みの日はマック食べた後、一緒にタワレコに行くのも定番のコースだったね。
「……亮って、そういうの多かったなあ」
「急に唯を呼び出すこと?」
「あたしだって暇じゃなかったけど、でも、亮に呼ばれたら行かなきゃいけないような気がしてた」
「わかってたよ。俺だって唯は来てくれるような気がするときしか呼ばなかったよ」
だって、亮だもの。私にとっての亮は、他の友達とは、違うもの。
亮にとっての私も、他の友達とは違う存在でいられたかな。
「一口やるよ」って言って、亮が食べかけのハンバーガーを差し出した。私はそれにかじりつく。
それから、自分のハンバーガーを亮の顔の前に持ってく。「やるよ」っていうのは、「交換しようぜ」っていう意味。これは最初のころから変わってないなあ。
「おいしい」
「おいしいな」
亮からもらった一口を、ゆっくり何度も噛んでいたら、涙が出てきた。ぽろり、とこぼれた瞬間に気づいて、びっくりした。
「何で泣いてんの」と、亮がティッシュを一枚差し出す。
「わかんない。寂しいのかなあ」
亮と別れるのが、寂しいのかな。ティッシュで涙をぬぐう。何度も悩み相談はしたことあるけど、亮の前で泣いたのは初めてだ。
「寂しいけどさあ、また会えるじゃん」
「うん」
「夏休みとかこっちに戻ってくるだろ? またマック食いに来てさ、……あ、たまには映画でも見るか。夏は海もいいな。今までは勉強ばっかでそういうの行けなかったから」
「うん。夏休みも冬休みも帰ってくる。また遊ぼうね」
……それから、
「あたし、ずっと亮とこんな風でいたかった」
「ずっとこんな風でいられると思うよ」
亮はそう言った。絶対的な信頼感を感じさせる顔に、私は安心してしまった。だからそれ以上のことは言わなかった。
それからもいろんなことを話した。ハンバーガーを食べ終えて、外に出て、今日はタワレコには寄らずに帰路につき、分かれ道で別れる……いつもの帰り道なはずなのに、いつもと違ったのは、握手したことだった。
「またな」
「……うん」
「明日、気をつけてな。あっちついたら、メールな」
「うん」
「じゃあ、な」
また泣きそうだった。亮もそれ以上のことを言わなかった。握っていた私の手をぱっと話すと、自分の家のほうへ向かっていった。私は亮を見送ってから背中を向けて歩き出した。
私が望んでたような亮との関係は、それきりだった。
夏休みに地元に戻った時は、約束した通りに海に行った。浜辺で遊んで、それからやっぱりマックに行って、遊び疲れてたこともあって引っ越す前の時よりもあっさりと別れた。
ほんの少し、ぎこちなさを感じた。毎日会ってた人と久しぶりに顔を合わせたことで舞い上がりすぎてしまっていたのかもと思ったけれど、そうではないことに気づくのに時間はかからなかった。
冬休みに帰った時は、亮には会わなかった。亮となかなか予定が合わなくて、無理やりに都合をつけてまで亮と会わなくてもいいような気がしていた。
私はお互いの気持ちが褪せていくのを感じた。春休みには、亮には連絡をしなかった。亮からも連絡はなかった。「12時にマックな」……今そんなメールが送られてきたら、たぶん私は戸惑ってしまうだろうと思った。
せめて、彼氏とか彼女とか、そういう言葉で繋がれていたのなら。
そう思った時には、もう私も亮も、そういうことを考えなくなっていた。
少しだけ虚しく思ったのは、亮を失ったことではなくて、「そんな関係」を失ったこと、……私たちが望んでいたものがこんなに不安定なものだなんて知らなかったから。
このままがいいと思っていた。
それゆえに、私たちはずっとそんな風ではいられなかったんだ。