偽物の空
空は広い。
見上げているだけでどんどん気が遠くなっていった。俺は足元を見た。確かに足は地面についている。そしてもう一度空を見上げた。
気が遠くなった。
「おい」
あの日から五年。俺は同じ場所に立っていて、同じように空を見上げていた。
「何してんだよ」
友人が俺に話しかけている。それはどうでもよかった。俺は空が見たいのだ。
どこまでもさわやかで、流れるような青。柔らかく浮かんでいる雲。俺はそれが見たかった。
なのに、俺が見ているのはただの壁だった。あるいは蓋だった。
急激な環境の悪化。二年前に空が割れて、人間は太陽の光を浴びることができなくなった。
その時、人間がとった対策は、大地を覆うことだった。
「くだらねー」
俺がそう呟くと友人は笑った。
「しょうがねえじゃん、こうしなきゃ俺たち死ぬんだぜ?」
友人は、俺の立った一言ですべてを悟った様だった。おそらく百回ぐらい繰り返しているから慣れてしまったのだろう。
俺はもう一度空を見上げた。大地を覆う巨大ディスプレイにはいつ録画したのか、空の映像が永遠と流れていた。
「今から生まれてくる子供たちは、これが空だと思うのかな」
俺は流れる雲を目で追った。するとその雲は、いつの間にかまだ流れてきた。なんだよ無限ループかよ。
「そうじゃねえかな、だってこれ以外に何が空かわかんねえもん」
友人も空を見上げた。
「こんな偽物。かわいそうな子供たち」
俺は空から目をそらして地面を見た。
コンクリートで固められた地面。ちょっと前までは土があって草があって木があって花があったのに。
今まで植物が作っていたきれいな空気はいつの間にか機械が作って、ついでに温度も適温にした。
今じゃ春の暖かさも、夏の暑さも、秋の涼しさも、冬の寒さもない。在るのは快適な空間だけだった。
全部全部がくだらなかった。誰かこの世界に満足してるのか?俺はぜんぜん満足してないのに。
俺は友人を見た、あいつは割り切っている。あきらめているのだ。俺よりもずっと大人だ。同じ年のはずなのに。
そう考えると、全部が全部くだらなかった。
「もう一度、空が割れないかな」
俺の呟きには、今度は友人は答えてくれなかった。
あのディスプレイができたばかりの時、俺は出口を探した。
どこかの偉い人が急速に進めたこの事業は本当にあっという間に全工程が完了してしまった。
いつの間に人間はこんなに進化したんだろう。
確かテレビで、偉い人がこのシステムについて説明していた。
中年の少し太った人が、手を広げて、自慢げに話していた映像がテレビから流れていた。
『このドームは、マグニチュード10.0の地震にも耐えることができ、溶岩でも溶けることはない。防水加工も完璧で、地球で起こりうるありとあらゆる災害から人類を守ることができる』
その時は、ただ情けなかった。
人間はいつの間に地球からのメッセージを聞かなくなったのだろう。
いつまで過ちを犯し続けるのだろう。
俺はこんな世界はいやだった。
ちょっと前の、青空が広がり、みんなが地球を愛している世界に戻りたかった。
だから俺は、出口を探した。
どこかにあるはずの壁を探して、俺はひたすらに走り回った。
でも、壁なんてどこにもなかった。
虹みたいに近づくたびに遠くなっていく。
そういう表現をして、もう虹も見られないことに気がついて俺は泣きたくなった。
ディスプレイはすっかりオレンジ色になっていた。
もう夕方だった。
俺は偽物の空を睨んだ。
本当の夕焼けはもっときれいなのに。
俺はもう一度偽物の空を睨んだ。
そして俺は、今空を割ろうとしていた。
五年をかけて仲間を集めた。
空が隠されてからもうすでに七年が経っていた。
仲間たちは着々と準備を進めている。
「リーダー、もうすぐ空が割れるよ」
俺は頷いて偽物の空を見上げた。
もうすぐ、見れるのだ。あの時の空。
俺はゆっくりと手を上げた。
ミサイルが発射される。そして偽物の空を突き破った。
ドームの破片があたりに飛び散る、俺は腕で顔を覆った。
仲間たちの歓声と、一般市民の悲鳴が辺りに響き渡った。
騒ぎが起きることは想定していたこと。
一瞬でいい。俺は一瞬だけ、空を見れればよかったのだ。
俺はゆっくりと目を開けて、空を見上げた。
割れた偽者の空の奥に、本物があった。
終わりのない、さわやかな青だった。
その眩しさに、俺は目を細めた。
ただ美しかった、これ以上美しいものは無いと断言出来た。
気がついたら自然と涙が出ていた。
そして、サイレンが鳴った。
警備兵が俺たちを取り囲む。
俺はそれさえかまわずに空を見上げ続けた。
乾いた破裂音が俺の心臓を貫いたのはすぐだった。
熱かった。心臓が熱くて死んでしまいそうだった。
空に手を伸ばす。
手のひらは真っ赤だった。
中も外も真っ赤だった。
しばらく空を眺めていたら、俺は気が遠くなった。