Slow Luv Op.4
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カフェ&バーのローズテールは、夜のバー・タイムの生演奏が売りで、曜日によって趣向が違う。ジャズであったり、クラシックであったりと色々で、それが幅広い客を呼んでいた。悦嗣は学生時代からマスターと懇意にしていて、週に一、二度のアルバイトの他に、トラブルで穴が空いたり、ヴォーカルの伴奏が必要になった時などに、助っ人で入ったりしている。今夜は後者の方で、フュージョン歌手の伴奏に駆り出された。
ヴォーカリストのステージは二回。その合間は悦嗣も休憩となっている。カウンター席の端に腰掛けて、ウーロン茶を頼んだ。仕事中にアルコールは取らない。それに口を付けて、マンションを出る際にかかった曽和英介からの国際電話を思い出していた。
“もしさく也がそっちに行ったら、すぐウィーンに戻るように言ってくれ”
昨日の夕方に楽団事務所に電話をかけてきて、明日から休むと言ったきり、姿を消したらしいのだ。リハーサルの最中にかけているとかで、英介は用件だけを言うと、さっさと切ってしまったので詳しいことはわからない。
その電話を切った後、今度は伯母の園子から電話がかかる。昨日の話の続きだった。しつこく次回の会う日取りを決めたがって、昨日の夜から三回目の電話なのである。仕事を理由にさっさと切ったが、その後でふと。
――あいつに電話したのって、昨日じゃなかったか?
電話の内容を思い出すと、頬の辺りが熱くなる。手元のウーロン茶をあおった。
「加納? おまえ今日、ここのバイトだったのか?」
その時、店に数人が固まって入って来た。その中に、大学の恩師・立浪教授がいた。悦嗣の姿を見止めると、近づいて来る。
「臨時。先生は? 若いヤツらと一緒なんですか?」
悦嗣は席についた立浪の連れらしい面子を窺った。彼らはゼミの学生で、新年会の二次会だと立浪は答えた。「それより」と、彼はぐるりと店を見回し、
「中原君は? 一緒じゃないのか?」
と尋ねた。
「え? 中原?」
行方が知れないさく也の名前が出て、悦嗣は逆に聞き返した。
「おまえの所に行くって言ってたけど。会ってないのか?」
立浪はさく也が夕方に、自分を訪ねて月島芸術大学へ来たと話した。
「携帯電話を忘れて来たと言ってた。月島芸術大学くらいしかわからなくて、光栄にも私のことを思い出してくれたらしいよ。おまえの携帯と自宅に電話を入れたんだが、出なかったな」
連絡がつくまでここにいれば良いと言う立浪を断って、さく也は大学を去ったらしい。ちょうど今日は学生オーケストラの練習日だったから、時間潰しに聴いて行ってくれないかと言う思惑は外れたと立浪は笑ったが、悦嗣の耳には入らなかった。
「それ、何時だった?」
「そうだな、六時前だったかな」
更に彼の話は続いていたが、悦嗣は無視してピアノを弾く間は外している腕時計を、ズボンのポケットから取り出した。午後九時半を回ったところだ。ステージは十時からの一回が残っている。これはどうしても抜けられない。どう見積もっても、自分のマンションに帰りつくのは十一時を超えてしまうだろう。留守だとわかったら、とりあえずはホテルに戻るかも知れない。
悦嗣は手の中の腕時計を握り締めた。
作品名:Slow Luv Op.4 作家名:紙森けい