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My Godness~俺の女神~

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 しかし、この出向には一つの条件があった。出向する者は既婚者であるということ。現地では関係者同士―会社ぐるみの付き合いが盛んで、様々なレセプションが催されるのが慣習であり、そのためには夫人同伴でなければならないというのが理由であった。
 まあ、言ってみれば、潤平が実里との結婚を決めたのも、その出向話があってこそではあった。つまりは、必要に迫られて決断したと言っても良い。
 正直、実里には、あまり嬉しい話ではなかった。いや、彼女だけでなく女にとっては皆、同様だろう。
 実里は即答は避けた。それが、そのときの彼女に出せる精一杯の応えであったからだ。
―少し考えさせて。
 潤平は考えもしなかった応えを聞かされたとでも言いたげに、露骨に不満を示した。
―何でだ? お前だって、俺からのプロポーズを待っていたんじゃないのか?
 そのいかにも自信家の彼らしい物言いに、実里もカッと頭に血が上った。
―なに、その言い方。それでは言わせて貰いますけど、潤平さんだって、二ユーヨーク出向の話がなければ、私と結婚しようだなんて考えもしなかったでしょ。
 こうなると、売り言葉に買い言葉である。
その後、二人は無意味な言葉の応酬を繰り返した挙げ句、気まずいままだった。実里は潤平の運転するセダンで自宅前まで送って貰ったが、車を降りるまで二人ともにひと言も喋らなかった。
 それが、今から一週間前のことになる。更に追い打ちをかけるような出来事があった。
 昨夜、潤平からメールがあったのだ。あの夜から一週間、電話どころかメールもない状態が続いていた。
―そろそろ頭が冷えた頃だろう? 良い加減に賢くなれよ。俺と仕事とどっちが大事なんだ?             潤平
あまりにも傲岸なというのか、自分本位の内容に、実里はかえって心が冷えてゆくばかりだった。
 今になって急に結婚だなんて、しかもニューヨーク支社に行くための条件を満たすために? 
 冗談ではない。自分が仕事に夢中なときには実里の心のなど考えもせず、今更、結婚?
 実里は考えた。自分は今まで、彼の何をどう見ていたのか。潤平と知り合ったのは、短大の手話サークルに入ったのが馴れ初めだった。F大の法学部に入ったばかりの彼とは同年だったけれど、短大を卒業した実里の方がひと脚早く社会人になった。
 それでも、二人の恋は続いた。二人ともに地元で生まれ育った人間だったのも幸いして、遠距離恋愛になったのは潤平が今の会社に入って四年目にインドのニューデリー支社に一年の期限付きで転勤させられたときだけだった。そのときは実里も一度、インドを訪れている。
 潤平は俺様で多少我が儘なところはあるがも、基本的には根は悪くない男だ。上から目線で常に〝俺について来い〟のタイプだから、上手く付き合えば、扱いやすい男だともいえる。多少の虚栄心を満足させて、相手を怒らせない程度に実里も自分を主張する。いつしか、実里はそんな風に潤平の前では自分をコントロールするすべを身につけていた。
 だが、果たして、それが良かったのかどううか。今となっては疑問を抱かずにはいられない。潤平の顔色を窺いながら付き合っている間中、実里は本当の自分でいられたのだろうか。彼の前で見せる自分は所詮、偽りの自分でしかなかったことに、今頃、漸く気づいたのだ。
 物分かりが良くて、従順で女らしくて可愛くて。それが潤平の好みの女の子だった。思えば、実里はずっとこの八年間、彼の望む理想像を演じてきたにすぎない。
 図らずも今回の騒動で、実里は自分たちが八年もの歳月をかけて築いてきたものが空しい幻のようなもの―砂上の楼閣に過ぎないことを知ってしまった。
 知らなければ何とか自分を騙し騙し彼との関係を続けていられたろうが、知ってしまったからにはもう今までどおりではいられない。かといって、今になって潤平と別れて別の男を好きになり、また一から始めると考えるだけで、気が遠くなるようだ。
 恋愛について、どうも自分はあまりに臆病というか怠惰になりすぎてしまったらしい。
 実里はまた大きな息をついた。ワイパーの音が相変わらず耳障りだ。昨夜は結局、あまり眠れず朝を迎えた。更に今日は新規プロジェクトに参加するメンバー全員がほぼ顔を揃え、初めての企画会議を行った。実里はパネルやフィルムなどを駆使して企画の全容を参加者に詳しく説明し、質問者からの鋭く的確な質問に一人で対応しなければならなかった。
 この企画のチーフ、主任は本社の編集部の部長が兼ねるが、副主任は何と企画発案者の実里が任命された。
―入倉君。私はあくまでも飾り物の主任だから、責任者はこの企画を考え出した君自身だということは忘れないでくれたまえよ。
 会議後、部長から直々に申し渡された言葉は、良く取れば実里を頼りにして立てているということでもあり、逆に取れば、この企画が失敗に終われば、実里に全責任が来るという風にも取れる。
 今、実里は、これ以上はないというほど、疲れ切っていた。潤平とのことは、どうしたら良いのか判らない。ここらで別れるべきだと囁く冷静な自分がいる傍ら、今、彼と別れたら、もう二度と自分は誰とも結婚できないのではないかと怖れる自分がいた。
 新規プロジェクトは漸く動き出したばかりで、果たして未熟で経験もない自分に副主任、事実上の責任者だなとどいう重い役が果たせおおせるのか自信もない。
 失敗すれば、夢が潰えるどころか、会社にも居られなくなるだろう。こんなときこそ慰め側にいて支えて欲しい恋人は、自分の仕事のことしか頭になく、新規プロジェクトか結婚かどちらかを選べと迫っている。
 実里は、ふいに眼をしばたたいた。精神的な重圧が高じたのか、あまりに深い疲労のせいか、眼の前が一瞬、霞んだのである。ハンドルから片手を離し、慌てて眼をこすっている中に、視界のブレは治まった。
 ホッとしたその瞬間、数メートル前方に白い影が揺れているのが映じた。刹那、ゾワリと背筋を寒気が走った。しかし、自らを叱咤して落ち着かせる。
 ここら界隈は閑静な住宅地が続いていて、幽霊が出るなどという話はついぞ聞いたことがない。ありったけの自制心をかき集めると、グッとハンドルを握る手に力を込めた。
 と、あろうことか、白い影はふらふらと頼りなげに浮遊するように揺れながら、こっちへ向かって来るではないか。
 実里は焦った。このままでは、あの白い影にぶつかる。慌てて急ブレーキをかけるも、間に合うはずはなかった。やがてドスンと鈍い音がして車のボンネットに少なからぬ衝撃が加わった。
―人を、轢いて、しまった。
 実里はひたすら茫然としていた。車はとうに停止していたが、彼女はハンドルを異常なほどの力で握りしめたまま、しばらく凍り付いたように動かなかった。やがて永遠にも思える時間が途切れ、実里はハッと我に返った。
 随分と長い時が経ったようだけれど、恐らくものの数秒ほどであったろう。実里は狂ったような勢いで軽自動車のドアを開け、路上に転がり出た。
 やはり―。世にも不幸な予感は的中した。急停車した車の真ん前に一人の女性が倒れていた。白い影のように見えたのは、女性がアイボリーの丈長のワンピースを着ていたからだろう。